いったい
何時まで眠り続けるのか…。
いつまで様子をみていたらいいのだろうか…。

最愛のフランソワーズが自分の目の前で
一週間も眠り続けている。
ジョーはやりきれなくなって、仕事を途中で切り上げ
パソコンを閉じた。
戦闘時ならばいつも彼女を守ってきたし、その自信がある。
だが今はどうだ、眠り続ける彼女を前に
何も出来ないでいる。
あんなに生き生きと毎日を送っていたフランソワーズを
夢の世界から日常に連れもどせないでいるのだ。
ジョーは自分が情けなかった。
思わずジョーはフランソワーズの手をとって
自分の頬にあてた。

初めて出会ったときのまっすぐに自分に向けてきた碧の瞳。
自分達は、時間を飛び越えてやって来たのだと話してくれた時の悲しそうな瞳。
自分が死の縁から戻った時に見せた
大粒の涙をたたえた なんとも美しい地球を思わせるようだった瞳。
双子を授かった時、
お腹に手をやりながら、優しく微笑んだフランソワーズの瞳は
昔住んでいた教会に佇んでいた、マリア様のようだと思った。
くるくるといろんな表情を見せる、フランソワーズの瞳が
ジョーは大好きだった。

いったい君はどうしてしまったんだ
たのむから目を開けてくれ。
僕を…
僕を置いて、一人で先にいってしまわないでくれ…

そう思ってから
ジョーは、さーっと血の気が引く思いがした。
フランソワーズが先にいってしまう。
そんなことがあっていいはずがない。
でも
まさか
このまま眠り続けるとしたならば…!

ジョーはさらにフランソワーズの手を強く握り締めた。

「フランソワーズ戻ってきてくれ…」

その時ジョーは背後になにか気配を感じた。
はっとなって振り返ってみると
そこには一人の少女が小さなブーケを持って立っていた。
14,5歳くらいだろうか、金色の長い髪を二つのおさげにして
紺色のリボンで結んでいた。
いつの間にか、ジョーは知らないどこかのアパートの一室にいた。
日本の感じ…ではない。
この部屋の雰囲気好きだわ といつかフランソワーズが見せてくれた
インテリア雑誌に載っていた、外国の部屋の雰囲気に似ていた。
「あの…」ジョーは少女に声をかけたが
まったく反応は返ってこなかった。
とまどっていると、少女がしゃべりだした。
「ねぇ、見て兄さん。これ、そこの角に住んでいる
おばさんがどうぞってくれたの。おばさんが作ったんですって。
タッジー・マッジーっていうのよ。
魔よけの花束ですって…いい香りがするのよ。ほら。」
そう少女が言って 兄さん と呼んだ相手にむかってブーケを差し出した。
目の前のジョーを突き抜けて、まるでジョーは透明人間だった。

そうか、彼女には僕の姿は見えないし、声も届かないんだな。

ジョーは妙に納得していた。
少女のブーケの先には、見知らぬ青年が立っていた。
軍人なのだろうか、制服を着て、きりっと姿勢がよかった。
少女より5,6歳年上といったところだった。
「ほんとだ、いい香りがするね。」
少女より幾分くすんだ金色の髪の青年が言った。
「兄さん、何時帰ってくるの?」
「2週間後だよ。それまでお前一人で大丈夫か?」
「平気、もうなんでも一人で出来るもの。
それより、無理しないでね。怪我なんかしないでね。」
「大丈夫だよ。ほらコレもらっていくよ。魔よけなんだろ?じゃあな。」
そういって青年はブーケを少女から受け取ると、
手をあげて少女の前から立ち去っていった。

もう一度ジョーが頭をめぐらすと
今度は、少女は太めのカチューシャをして、なにやら楽しそうに
ジョーのよく知っている碧の瞳をきらきらさせながら、お茶の支度をしていた。
先ほど見た時よりも幾分大人びて見えた。

あぁそうか、あの娘はフランソワーズだ。
さっきの人はお兄さん…

ジョーは思った。

「あのね」
とフランソワーズは話し始めた。
「私、今度の公演に出させてもらう事になったの。」
テーブルの上にセッティングされたカップに
ポットでお茶を注ぎながら、相手に向かって
なおもフランソワーズは続けた。
「なんだか夢みたい」
「そりゃすごいな。是非見に行かなきゃ。」
フランソワーズの話し相手はテーブルの向こう側に
座っている彼女の兄だった。
「でもね、コールド…群舞なのよ。後ろから2番目。
兄さんが見に来てくれても、私がどこで踊っているかなんて
わからないと思うわ。」
「それでも嬉しいよ。妹の初舞台だもんな。そうだ
今晩はどこか食事に行こうか?前祝いってことで」
「本当?嬉しいわ」


すると今度はどこからか
細い歌声が聞こえてきた。
ジョーが声のする方へ歩いてゆくと
その先にフランソワーズがベビーベッドの側で
赤ん坊の小さな双子を寝かしつけようと
子守唄を歌っているところだった。

あぁ、なつかしい。
君はそうやってよく歌っていたね…。

満ち足りた表情で、いつも目を細めて双子を見つめていた
フランソワーズをジョーは思い出した。

あたりが急に暗くなった。
ジョーは軽いめまいを起こして頭を振った。




顔をあげると、小花模様の壁紙が目に入ってきた。
ジョーは寝室にもどっていた。

い、今のはなんだったんだ。

ジョーにはわけがわからなかった。

(やぁ、ジョー。おはよう)
イワンがフランソワーズが眠っているベッドの近くに浮いていた。
「き、君か?君がさっきの白昼夢を…?」
(そうだよ。でもあの映像はボクがつくりだしたものじゃない。
見せたのはフランソワーズ。君は彼女の夢の一部に入り込んだんだ。)
「夢…彼女の夢
 眠っているフランソワーズが今見ている夢ってこと?」
(そうだよ)

改造される前にどんな生活をしていたのか
フランソワーズはジョーに多くを語らなかった。
それでも、少ない話の中から、喜びや悲しみの中にも
愛情あふれた生活を送っていたらしいと知れた。
その生活の一部をジョーは夢の中とはいえ垣間見たのだった。

幸せそうだったな、フランソワーズ…

ジョーは思った。

もちろん今もフランソワーズは笑顔で過ごしている。
けれどもそれは、非常な忍耐をしいられ
乗り越えてきた強さや哀しみがまじった笑顔だった。
過去のパリ時代のフランソワーズの笑顔には
ただただ ひたむきで曇りがなかった。

君はあの幸せな夢の中でずっと暮らしているのか…
ずっと…一週間も…
では、今は?現実にはどうなんだ。
君は本当には幸せではないのか?
だからあの夢の中にとどまっているのか?

ジョーの中に疑問が浮かび上がってきた。

(違うよ。君も見ただろう?子守唄を歌うフランソワーズを。
彼女はとっても幸せだよ。君といっしょになってね、
子供たちに囲まれて。
ボクはやたらに他人の心の中を覗かない主義だけれど、わかっちゃうんだ。
フランソワーズの気持ちがあふれ出して、聞きたくも無いのに
彼女の心の声が勝手に聞こえてくるんだ。幸せ、シアワセって。
ボクが頭にくるくらいに。)
イワンがすかさず答えた。
「頭にくる?君が??」
無表情に見えるイワンがフフフと笑ったように
ジョーには思えた。
(だからなんだ。幸せだからこそ
フランソワーズは夢の中から出たがらないんだよ。)
「どういうことなんだ?」
イワンはそれには答えなかった。
そのかわり
(ジョー、このままフランソワーズを眠らせておくわけには
いかないだろう。君の力で連れ戻すんだよ。
君じゃなきゃだめなんだ。この問題の根っこのところは
フランソワーズもちゃんとわかっているよ。)
「連れ戻すって、いったいどうやって…?」
(じゃ、健闘を祈る!)
「ちょ、ちょっと健闘を祈るって イワン!?」
あわてるジョーを残してイワンは掻き消えてしまった。


「ジョー、ジョーね! そこにいるのは」
「え?」

聞きなれた声が背中から聞こえた。
ジョーが振り向くと、そこに
嬉しそうにフランソワーズが手をふって立っていた。

??フランソワーズは眠っているんじゃ…。

ジョーの知っているフランソワーズより幾分違って見えた。
水色のストライプのブロードのワンピースを着て
まだ子供のようなあどけなさが残る少女の姿をしていた。

…そうか、イワンは僕をまたフランソワーズの夢の中に
放り込んだってわけか。なんとしてもフランソワーズを
連れ帰らなきゃな…。

先ほど見た夢とは違い、今度は自分の姿は彼女に見えている。
ジョーは心の中で頷くと、フランソワーズの側に歩み寄って行った。

「あのね、向こうに兄がいるの。行きましょう。」
フランソワーズは、するっとジョーの腕に自分の手を回すと
ジョーをひっぱるようにして歩き出した。
「ま、まって。いきなりお兄さんになんか逢っちゃって大丈夫かな、僕。
初対面なんだけど。」
あわてて言うジョーにフランソワーズはころころと笑った。
「何いっているのよ。あなたはジョーでしょ。
大丈夫よ。すばるとすぴかの父親なんですもの。」
彼女が何を言っているのかジョーには理解できなかった。
「ほら、向こうで兄が子供たちの子守をしてくれているの。
最近やっと歩き出したのよ、すばるもすぴかも。
だから兄はきっと振り回されて、てんてこ舞いね。」
どうやら今度の夢の中では双子は赤ん坊で
フランソワーズの兄と一緒に存在しているらしかった。
フランソワーズは続けた。
「あのね、夢がかなったのよジョー。私の夢が。
嬉しくって天にも昇る思いよ!
ずっと兄に会いたいと思っていたの。
BGに拉致されて改造されてから、
ましてコールドスリープで何十年も飛び越えてしまったでしょう。
兄のことは諦めていたの。それにいつまでもこだわっていたら前に進めないって思って、
兄への想いを心の奥に葬ってしまっていたの。
でもね、最近やっと逢えたのよ!何十年ぶりかしら。
兄はちっとも変わっていなかったわ。最後に別れた時のままよ。
それに、すばるやすぴかも見せてあげられたし。
あぁ、私幸せすぎて怖いくらいよ…」
夢見るように遠くを見つめるフランソワーズの瞳に
一点の曇りもなかった。
フランソワーズはずんずんジョーを引っ張って歩いていった。
その少し先に一人の青年が双子と遊んでいた。
何十年も前に生き別れになってしまったフランソワーズの兄は
先ほどの白昼夢と同じように若々しかった。

違う!

とジョーは心の中で叫んだ。
「僕は向こうへはいかないよ。フランソワーズ。」
なおも前に進もうとするフランソワーズを引き離しながら、
静かにジョーは言った。
「どうして?どうしてなの?ジョー。」
フランソワーズは怪訝な顔をした。
「フランソワーズ、僕らの子供達は、今小学校2年生だよ。
赤ん坊じゃない。それに、君のお兄さんだってもうずっと昔に…」
「意地悪!ジョーは意地悪を言うのね。
私がどんなにか兄に会いたかったか、あなたには私の気持ちが
分からないのね!」
「わかるよ!でもおかしいじゃないか。何十年たっても君のお兄さんが、
普通の人間が、以前と同じ姿でいるなんて、ありえないじゃないか!」

さぁーーーっと
冷たい風が二人の間を吹きぬけた。

「帰ろう、フランソワーズ。僕と一緒に。」
ジョーは手を差し伸べた。

フランソワーズはあとずさりながら
ジョーの手を拒否し
う、う、と呻くとうずくまってしまった。

「ふ、フランソワーズ?」
ジョーが心配してフランソワーズの背中に手をかけると
彼女が顔を上げ、哀しみの混じった碧い瞳をジョーに向けた。
だがそこにはジョーの姿は映っておらず、どこかうつろだった。
彼女はいつのまにか、薄い若草色のシャツブラウスと白のコットンパンツを身につけていた。
ジョーのよく知るフランソワーズだった。
「みんな、みんな行ってしまうのよ。」
「フランソワーズ?」
「みんな先へ行ってしまう!」
フランソワーズは叫んだ。
「父さん、母さん、兄さんもみんなみんな
私を置いて行ってしまった。一人ぼっちはいや!
帰りたくなんか無いわ!そっちには誰も私を知っている人がいないもの。
どうして一緒に向こうへ行ってくれないの?
そうだわ、ジョーも、ジョーも私を置いて行ってしまうのね!そうなのね!」
ジョーはドキっとした。
先ほど自分は
フランソワーズが自分を置いて先に行くな と思わなかったか。
フランソワーズが自分を置いて行ってしまうと考えただけで
身を切られるような思いに駆られたではないか。
どんなに兄に逢いたかったかわからないでしょう
と言ったフランソワーズに
自分は わかる と返した。
でもそれは単なる言葉のアヤでしかなかったことに
ジョーは今気がついた。

思わずジョーはフランソワーズを抱きしめた。
「誰も君を置いてきぼりになんてしないよ…」
しぼり出すように言うジョーに対して
フランソワーズはジョーから逃れようと大きく抵抗した。
「うそ…!子供たちだってその内どんどん大きくなって
行ってしまうんだわ…!!」
泣きながら叫ぶフランソワーズは
拳を作ってどんどんとジョーの胸を叩いた。
そんなあばれもがく彼女を
なおもジョーは抱きしめた。
「フランソワーズ、フランソワーズ、スランソワーズ!!」
ジョーは必死に呼びかけた。
「どこにも行かない!他の者が先に行ってしまったとしても
僕は行かない。君の側にいる。側にいるから…!!」
一瞬フランソワーズが静かになった。

「愛している!フランソワーズ!」

その瞬間、二人の周囲の空間がざわめいた。
フランソワーズの瞳に光が宿った。
がくがくと膝を震わせ、崩れそうになったフランソワーズはジョーにしがみついた。
そんな彼女をジョーは優しく受け止めた。
「ジョー…」
そうつぶやくと、フランソワーズは目を閉じた。




(ジョーのところへ行く)
そう言ってイワンが双子の前から姿を消して
随分と時間がたっていた。
「イワン大丈夫かな。うまくお母さんを起こしてくれたかな」
とすぴか。
「イワンならうまくやるさ。大丈夫だよきっと…。」
とすばる。
「「はぁ〜〜〜〜〜」」
二人同時にため息をついた。
「「二階に行ってみる?」」
二人同時に言葉が出た。
イワンの言うことに間違いは無い。けれど
もしも、もしも失敗してお母さんが起きなかったら…
イワンだって間違う事があるかもしれない。
そう思うと双子はなかなか二階へ様子を見に
行けないでいたのだった。
「やっぱり行こう」
すばるが決心した。




「フランソワーズ」
夢から戻ってきたジョーの目の前のベッドの上で
今だにフランソワーズは眠っていた。
その頬に残る涙のあとを、ジョーは優しく指で辿っていった。
ジョーは確信していた。
フランソワーズが、あの夢の世界から、自分と一緒に戻って来てくれた事を。

(幸せだからこそ、フランソワーズは夢の中から出たがらないんだよ。)

イワンの言葉が、今ならジョーにも理解できる。

愛するものに置き去りにされてしまったフランソワーズは
苦難の末に再び手にした愛するものたちを手放したくなかったのだ。

「フランソワーズ」
再びジョーは呼びかけた。
「起きておいで。僕も、子供たちも、博士も
みんなお腹ぺこぺこだよ。
そりゃあ、大人の作ってくれたものはおいしいけれど、
でもみんな、君の料理が食べたいんだ…。」

何を言っているんだ自分は

ジョーは頭をふった。

「フランソワーズ…。朝だよ…。」




ジョーはやわらかなフランソワーズの唇に自分の唇を重ねた。



ゆっくりと
フランソワーズのまぶたが開いた。
最初は焦点を結ばなかった碧の瞳が
ジョーの姿を映し出すと
フランソワーズの頬にさっと薔薇色がさした。


「ジョー…!」
フランソワーズは手を差しだした。
「おはよう フランソワーズ。」
ジョーはしっかりとフランソワーズの手を握った。




((うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜))
目の前で展開されている光景に双子は目を見張った。
意を決して寝室に向かった双子達は
半開きになったドアの手前で足が止まってしまった。

父の口づけで目覚めた母。

普段から両親のKissシーンには
なれっこになっている双子だったが、
何故か…
真っ白に固まってしまった。

(お母さん!)
最初に解凍したのはすぴかだった。
胸がつまって息が出来ないほど苦しかった。
「お母さん…」
ぼとぼとと涙がすぴかの目から落ちた。
「お母さん!お母さん!!」
すぴかの声ですばるは我に返った。
(あぁ、お母さんは帰ってきたんだ。)
 よかった…!
すばるの目からもまた大粒の涙があふれ出てきた。

「「お母さん!」」

両親が双子を振り返った。
母が双子に笑顔を向ける。
双子は父を押しのけて母のもとへと
まっすぐに飛び込んだ。



暫くの間、双子はベッドの上で上半身を起こしているフランソワーズに
しがみつくようにして、えぐえぐと泣いていた。
「まぁ、まぁ、二人とも。どうしたの、そんなに泣いて。」
フランソワーズは双子の頭を優しくなでた。
「「だってお母さん、一週間も眠っていたんだよ。
もう、ずーーっと起きないんじゃないかって…」」
フランソワーズは呆然とした。
「一週間? ねぇ、ジョー。そうなの?私…。」
フランソワーズはジョーの方を見た。
「まあね。」
ジョーは苦笑した。
フランソワーズが自分の腕に目をやると
点滴が打たれている。

一週間も…

あの日、夕飯を作ろうとキッチンへ向かう途中、
激しい頭痛に襲われてしゃがみこんだまでは覚えている。
今こうして自分が寝室にいる、という事は
多分ジョーが自分をここまで運んでくれたに違いない。
そしてきっとそのまま自分は眠ってしまって…
夢の事も覚えている。兄がいて、双子が赤ん坊で
そして最後にジョーがやってきて 帰ろう と言った。
なんだか生々しい夢だった。

愛している

夢の中で、自分にかけてくれたジョーの言葉を思い出して
フランソワーズは頬が熱くなるのを感じた。
それにしても、まさか一週間も眠っていたとは…
フランソワーズには、たった一晩の事のように思われた。
「私…」
「さすがに一週間は長かったけど
メンテナンスも無事に終わって、こうして君も起きてくれたわけだし…」
ジョーはさらっと言った。
「え?メンテナンス、終わっているの?」
「あぁ、緊急に。そのあと君は眠りっぱなしだったんだ。」
「そうなの…」
フランソワーズはジョーや双子達に
申し訳ない気持ちで一杯になってしまった。

こんなに自分の事を心配して泣いてくれる人がいる。
あの夢の中でどうして自分は 帰りたくない なんて思ったんだろう。

「「ごめんなさい、ごめんなさい」」
双子はなおも泣きながら、フランソワーズにひたすら謝り続けた。
「い、いったいどうしちゃたの?
ごめんなさいって、何がごめんなさいなの?
お母さんにはワケがわからないわ。」
「あのね、あのね、お母さんが眠っちゃったのは
私が、その、お転婆だから、お母さんがいつも
困っているから…お母さんあきれちゃったからでしょう?」
目を真っ赤にしてすぴかが言った。
「違うよ、ぼくが、ぼくが、ち、地下室へ入ったからだよ。
そうなんでしょ?お母さん。」
すばるの告白にジョーとフランソワーズの顔色が変わった。
それをすばるは見逃さなかった。
「や、やっぱりそうなんだ。ご、ごめんなさい、お母さん」
すばるは、またもやわーわー泣き出した。
「いったいいつ?」
ジョーはすばるの目線までしゃがみ込むと
すばるの肩に手を置いて静かに問いただした。
「6月○日 金曜日。鍵がかかってなくて、…ひっく…中に入ってみたけど
真っ暗で、こ、こわくて、すぐに出てきちゃったんだ。…ひっく…」
ジョーはうつむいて無言だった。
「ほ、本当だよ。何にも見えなかった。で、でも
中に入っちゃったから、ば、罰があたったんだ…
だ、だからお母さんが、お母さんが…」
「もういいよ」
しゃくりあげて、続けようとするすばるに
優しくジョーが言った。
「ダメだと言われているのに入ったすばるは悪いけど、
鍵をかけ忘れたのは僕らの不注意だ。
だからおあいこ。罰があたったわけではないよ。」
どうやら、ジョーが怒っていないらしいと知って
罰が当たったわけでもないと知ってすばるは少し安心した。
ジョーとフランソワーズは顔を見合わせて微笑した。

自分がお転婆だから、自分が地下室に入ったから…
子供の考える事は、なんて愛しいんだろう。

フランソワーズの胸が一杯になった。

「謝るのはお母さんの方ね。ごめんなさい、二人とも。寂しかったでしょう。
お母さんはすぐに元気になるから、そうしたらいつものように
オーツビスケットを焼きましょうね。」
「「本当?」」
「ええ。」
「「本当の本当?」」
「ええ、本当の本当よ。」
フランソワーズの目に光るものがあった。
「そうだ、二人とも、お母さんの目が覚めたって
下にいるおじいちゃんに知らせてくれないかな。」
ジョーが言った。
双子は母の元を離れがたかったが、父の言葉に従った。
ドアの所ですぴかが振り返った。
「あ、あのねお母さん。難しいけど、とっても難しいけど
私お転婆やめて、マジメにお稽古をして、オーロラ姫になるね。」
消え入りそうな声でそう言うと、すぴかはドアの向こうに消えて行った。
「まぁ」
とフランソワーズの頬が真っ赤になった。




「オーロラ姫って?」
ジョーがフランソワーズに尋ねた。
「眠りの森の美女っていうお話に出てくるお姫さまのことよ。
悪い魔女の魔法にかかって100年も眠ってしまったお姫さまは、
王子様のKissで目が覚めるのよ。」
言ってしまってからフランソワーズは恥ずかしそうに唇に手を当てた。
あ…とジョーは思った。双子が自分達の一部始終を見ていたことに
今更ながら気がついたのだった。
「君は本当にオーロラ姫だね。時間を越えて僕の前に現れた…。」
「ジョーったら…」
「よかった、君が目を覚ましてくれて…。」
ジョーは心底ほっとしたように言った。
「私、あなたにひどく迷惑をかけたし、心配もさせたわ」
「いいんだよ。それより、お兄さんと夢の中ででも逢えてよかったね。」
フランソワーズは目を見開いた。
「ジョー どうして…?」
フランソワーズは今のいままで、夢は自分だけが見ていたものだと思い込んでいたのだった。
まさか、ジョーも同じ夢を見ていたとは思ってもみなかったのだ。
「イワンだよ。イワンが何が何でも君を連れ戻せって
僕を君の夢の中へ飛ばしてくれたんだ。」
「そうだったの。イワン起きたのね。」
それで納得がいった。何故あの夢があんなにも生々しかったのか。
「じゃあ、やっぱり私はあなたに迷惑をかけたんだわ。」
ジョーはフランソワーズの頬を両手で包んだ。
「もういいよ。そのことは。」
赤褐色の瞳が碧の瞳を覗きこむ。
「ジョー、私ね、少しさびしかったのよ。あの子達はどんどん大きくなってしまうし、
私の手から離れてしまうでしょう。もちろんそれは喜ばしい事なのだけれど…。
私はあの夢の中から離れたくないって思ってた。
せっかく手にした今の幸せを、子供たちを手放したくなくて…。
ごめんなさい、ジョー。ダメね、私、子離れしなくちゃ。」
「もう何にも言わなくてもいいよ。
それに、ひょっとしてあの夢は、君には必要だったんじゃないのかい?
夢の中で、君はお兄さんと一緒に、とても幸せそうだった。」

あぁ…とフランソワーズは思う。
夢の中でではあるが、逢いたくてたまらなかった兄に再会できた。
何年もの間、ぽっかりと心に空いていた穴が、ふさがったような
そんな安らいだ気分になった。
それはジョーと過ごしている時の安らぎとはまた別の種類のものだった。
今まで見て見ぬフリをしてきた、心の奥に沈めた自分の過去を
整理する時間が、自分には必要だったのかもしれない。

「あの子達に、そろそろきちんと僕らの事を、話した方がいいのかもしれないな」
ジョーがポツリと言った。
「すばるが地下室に入ったと聞いた時は、少しびっくりしたよ。
もう誤魔化しておける歳ではないのかもしれない。」
「ええ、そうね…。」
確実に双子は成長している。
その事に、やはりフランソワーズは寂しさを隠せなかった。
「あの子達は確かに大きくなってここを巣立っていくけれど、
僕らよりも先に行ってしまうかもしれないけれど、
決して僕たちを置き去りにしたりはしないよ。」
「え?」
「僕たちの生きた証をあの子達は未来に残していくんだ。
幸運にも、その証を僕らは見ることが出来るかもしれないね。」
フランソワーズははっとしてジョーを見上げた。

目先の事ばかりを考えていた。
そんな風に自分は考えた事がなかった。
この人は、いつも少し高い場所から全体を見渡して
自分達を大きく優しく見守っているのだ。

フランソワーズは改めてジョーの愛情を感じ、
かみしめた。

「そうね、そうね…。」
フランソワーズの瞳に涙があふれた。
ジョーはその手で彼女の涙を受け止めた。
「僕はずっと側にいるから…。言っただろう
たとえ他の者が先に行ってしまったとしても
僕は側にいるって。」
「ジョー…。」
二人は唇を合わせた。
フランソワーズの中に、熱いジョーの想いがどっと流れ込んできた。


(はい、そこまで!)


「「えっ??」」
唐突にジョーとフランソワーズの頭の中に
イワンの声が響いて、咄嗟に二人はお互いから離れた。
イワンはしゅっと現れ、二人の間に割って入ると
すましてフランソワーズの膝の上にのっかった。
(ジョー、フランソワーズは、ずっと点滴だけだったんだよ。
ちゃんと食べて力つけなきゃ。今フランソワーズに
無理をさせちゃダメだよ。)
「む、無理って、僕はそんな…」
もはやフランソワーズは真っ赤になって何も言えなかった。
「そうじゃの、さて点滴も、もう残り少ないし、そろそろはずそうかの」
いつの間にかギルモアも寝室に上がってきていた。
「はははは、それだけ元気があれば大丈夫かの。
なにはともあれ、よかったよかった。
あとで大人がおかゆを作って持ってきてくれるそうじゃ。
フランソワーズ、ゆっくり食べて、力をつけて
元気におなり。」
「はい…。」






「今日もすぴかちゃん、元気にお稽古がんばっていたわよ。
あ〜、それでね、ふふふ、すぴかちゃんのロッカーで、盛大に鳴いてね〜蝉が」
「え?なんですって!えいこ、本当なの?」
研究所のリビングで、受話器から聞こえてきた、フランソワーズの同僚であり
すぴかのクラスの担当講師の言葉に、フランソワーズの声がひきつった。
「ええ。すぴかちゃん蝉を飼っているのかしら?
前にも2,3回、蝉を持って来た事があったんだけれど…。」

前にも2,3回?知らないわ、私は!

とフランソワーズは眩暈がした。
えいこ先生の話は続く…
「まあ小さな生き物だし、とっても大切にしているみたいだったから、
今までは黙っていたんだけど、やっぱり鳴き声は邪魔になるから、
持ってこないようにと注意をしたの。
さっきスタジオを出たから
もうすぐ、すぴかちゃんお家に着くと思うけど、
フランソワーズからも一言お願いね。」
「ご、ごめんなさいね〜。よく言ってきかせるわ。」
フランソワーズは穴があったら入りたい思いだった。
「それで、あなたはもう熱は大丈夫なの?フランソワーズ。」
フランソワーズは原因不明の大熱で倒れた事になっていた。
「ええ、もうすっかり。病院の先生も大丈夫って言ってくださったし
明日から顔を出せるわ。」
病院の先生とは、もちろんギルモアの事である。
「そう、よかった〜〜〜。あなたがアシスタントをしていたクラスの子供達も 
フランソワーズ先生大丈夫? って とても心配してたのよ。」
あぁ、ここにも自分を心配してくれている人がいるのだ
とフランソワーズは心が温かくなった。
「じゃあ、明日待っているわね」
「ええ、また明日。」
フランソワーズは受話器を置いた。

「お転婆はやめるって言ったじゃない。」

フランソワーズは肩を落とした。
しかし意外な程 かっかした気持ちは沸いてこなかった。
むしろすぴかのお転婆ぶりを聞いて楽しんでいる自分がいた。

「いつまでも、今のすぴかのままじゃあないものね、きっと。」

フランソワーズは、あれからすぐに回復し、
約束通り双子達と一緒にオーツビスケットを焼いた。
すぴかは未来のオーロラ姫目指して、はりきってレッスンに励んでいたし
すばるも元気を取り戻し、また本のムシになっていた。
ジョーの仕事のレポートははかどり、
来週から取材で、出かける事になっていた。
島村家に以前のような賑やかな毎日が戻りつつあった。

「あの子達は決して僕たちを置き去りにしたりはしないよ。
僕たちの生きた証をあの子達は未来に残していくんだ。」

ジョーの言葉がフランソワーズの心によみがえった。

「あぁ ジョー、あなたがいるから、私は…。」

フランソワーズはテラスに出て空を見上げた。

少し秋めいてきた真っ青な空が広がっており
ゆっくりと雲が移動していた。

すべてのものは、流れ行く雲のように、
形を変えながら過ぎ去って行く。
しかし、その後には、また新しい雲が流れ着いて
空の表情を彩って行くのだ。

行く夏を惜しむように
遠く入道雲が白く輝いていた。

*おわり*



本当に久しぶりの更新となってしまいました。
このSSを書くにあたり
いろいろと教えて下さった ばちるどさんに感謝いたします。

じゃあ、眠っている間、フランちゃんはトイレはどうしたんだろう 
などというツッコミは勘弁してくださいませ^^ゞ。
(あ、他のツッコミも・・・大汗)


2005/8/28         BACK/INDEX
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