眠り姫






オイテイカナイデ…

フランソワーズの瞳からふいに涙があふれてきた。

まただわ。最近どうかしているわ私。

頭を振って、心の中に響く小さな悲鳴をどうにか払いのけ
ズキズキするこめかみを手で押さえながら
フランソワーズは家路へと急いだ。





「ああ、お帰り。疲れたじゃろ、
外は暑かったじゃろう。ホレ お前さんもどうかの」
子供たちの夏休みが終わったとはいえ、残暑厳しいある日の午後
バレエの稽古と買い物を終え、大荷物を抱えたフランソワーズを家で向かえたのは
冷たい麦茶の入ったポットを手にしているギルモア一人だった。
(正確にはギルモアと眠っているイワンの2人だった。)

「あら、子供たちは?博士」
「すばるなら友達と南部図書館、すぴかは、ほれ颯君とか言ったかの
友達と神社へ蝉とりにいったよ」
「えっ?蝉取りですって!すぴかは、あの子は今日バレエのレッスン日のハズ…」
とフランソワーズはダイニングのすぴかのイスの上を確認した。
忘れないようにと、すぴかが朝学校へ行く前に自分で用意をして、
イスの上に置いたお稽古バッグは無かった。
代わりにイスの下にランドセルが口をあけて転がっていた。

はぁ〜〜〜〜

フランソワーズは盛大にため息をついた。

今日は4時間授業で二人とも3時前には家に到着するはずであった。
バレエのレッスンが始まる4時半までには間があるので
すぴかはレッスン前に遊ぶつもりなのだろう。
だが、蝉とりというのが気になる。多分すぴかは神社から
教室へ直行するだろう。蝉の入った虫かごを持って。
更衣室のロッカー内で盛大に鳴く蝉…。
フランソワーズは考えたくもなかった。
少しはお転婆がおさまるかもしれない、と本人も嫌がらなかったために
最近すぴかをバレエの稽古に通わせる事にしたのだが
一向に治まる気配はなかった。
本人はそれでも、大人になったらお姫様役をやりたいという
夢を持っているようだったが
フランソワーズには、一生かかってもすぴかには無理
だという気がしていた。

それにしても、とフランソワーズは思う。
すばるは随分と遠くまで出かけたものだ。本なら学校の図書室で
借りればいいようなものなのに…。
それでも徒歩圏内だから とフランソワーズは許す事にした。
もう2年生なんだし…。

フランソワーズは少し寂しくなった。

小学校にあがってから、どんどん行動範囲が広くなっていく島村家の双子。
学校から帰ってくるなり、あるいはちょっと帰りが遅くなった自分を
待ちかねたように
「「あのね、お母さん」」
と以前は、まるでツバメの子みたいに 賑やかに話かけてきたのだが、
最近は、2人とも自分の世界へとっとと飛んで行ってしまうことが多い。
もちろん遊びから帰ってくれば、それこそ争って話かけてくるのだが…

「そうですか、じゃあ少しだけゆっくりできますね。
そうそうお友達から草加煎餅もらったんですよ。博士もいかがですか」
フランソワーズはのろのろと荷物の中から煎餅を取り出した。
「ほほ〜う、いただくとしようかの…フランソワーズ?」
「はい??」
「顔色がよくないようじゃが、大丈夫かの?」
フランソワーズの表情に現れた疲れを読み取って
少し心配になったギルモアが言った。
「来週からお前さんのメンテナンスじゃが
 少し早めて明日からにするかね?わしの方はいつでもいいがね。」
「いえ、大丈夫です。メンテナンスに入る準備がまだ整っていないので…
その、子供たちの事とか段取りが…。」
「そうか…。でも無理は禁物じゃよ。調子が悪ければ早めに知らせておくれ。」
「はい…」
まだいくらか頭は痛かったが、先ほどよりだいぶ落ち着いてきた。
本気でフランソワーズは大丈夫だと思った。


子供たちのいない午後は本当に静かだった。
もともと研究所は住宅地から少し引っ込んだところにあったし
目の前は海、裏手は林、時折風にそよぐ木々と
広がる細波の音しか聞こえてこなかった。
ゆったりとくつろいでいるうちに、すっかり頭痛は治まっていた。
お茶がすむとギルモアは自室に引っ込んでしまった。
夕飯の支度までにはまだ少し間がある。
朝、洗濯乾燥機に放り込んでおいた洗濯物を
フランソワーズは、するすると引き出して
仕分けして丁寧にたたんでゆく。

ふふ、
昔はこんなに便利なものなかったわね。

洗濯乾燥機を見てフランソワーズは思った。

私が若い頃は…(ってなんだか随分歳をとったみたいな言い方だわね)
手で洗って絞って干して
お洗濯の回数は今より少なかったかも。
でも、どんなに便利になっても、洗濯物をたたむことまでは自動にならないのね。
コレが一番面倒な事なのよ、実のところ。
あ〜〜〜もうすぴかったら〜、
あれほど靴下はお風呂に入った時に、石鹸でぬりぬり下洗いしてから
洗濯機に入れておいてって言ったのに〜〜〜
やってないんだから〜〜〜(怒)靴下のウラが真っ黒よ〜〜〜〜。
洗い直しだわ(ぷんぷん)。
あら、すばるのズボン、また擦り切れているわ。
あとで直さないとね。おとなしそうに見えてもやっぱり男の子ね。
このズボン、サイズ120…来年はきっともう小さくなってしまって無理ね。
今ちょうどいいもの。

来年は無理…

つい最近まで、よちよち歩きで自分にくっついていた双子。
幼稚園であった出来事をにこにこ嬉しそうに真っ先に自分に話してくれた双子。
嵐の夜、怖いといって自分とジョーの布団にもぞもぞと入ってきた双子。
それが今では自分よりも友達と遊ぶ事に熱中している。
服もどんどん小さくなっていく。
去年よりも今年、今年よりも来年…といった具合に。
やがては自分達夫婦を追い越して大人になって、この家を巣立って行くのだ。
普通の人々よりもはるかに長い人生を歩まなくてはならない
見た目はあまり歳をとらない自分達よりも
双子達は先へ行ってしまうのだ。
 

オイテイカナイデ…


またもフランソワーズの心が小さな悲鳴をあげた。
それは、あの何十年もの眠りから覚醒した時、
自分の置かれた状況を理解した
あの瞬間にあげた悲鳴に似ていた。

あの時…、いや、彼女は改造されてからずっと
心の隅で、自分に属する懐かしいものの中に帰りたいと思い続けていた。
叶わぬ願いと知りながらも、
兄が、友人知人が同じ時代に生きているのなら
どんなに過酷な状況でも、まだ希望を見出せた。
けれど、時間を飛び越えてしまったとあっては
もうどうする事も出来なかった。


オイテイカナイデ…


フランソワーズの頬を涙が伝い落ちていく。

まただわ…。嫌ね 私ったら…。ホントにどうかしているわ。
疲れているのかしら…。

頭をふって小さな悲鳴を追い出そうとするが
今度は、涙が後から後からあふれてきて、
どうする事もできなかった。

「お願い、私を一人にしないで、置いていかないで…
 兄さん、みんな、すばるもすぴかも…!!」







研究所に続く一本道の手前 左右に分かれた道の
左側からすぴかが、右側からすばるが
一本道目指して全速力で走ってきた。
「すばる〜〜〜」
「すぴか〜〜」
お互い合流すると大急ぎで研究所にむかった。
「随分ゆっくりだったのね、すばる。私は今日レッスンだったから
少し遅れても大丈夫だけど」
「大丈夫だよ、さっきのところで5時50分だったから」
ギルモアに買ってもらった腕時計を覗き見ながらすばるは言った。
「ね、すぴか〜蝉取れた?」
「逃げられちゃった〜。(幸運にもフランソワーズの心配は外れた)
でも神社の裏手で湧き水を見つけたよ。」
「え、本当?」
「その湧き水、ちいさな水溜りなの。
中が綺麗な砂で、んーーーーー真ん中からプツプツ水が沸いててそこから
あふれた水が川みたいに流れてた。砂が踊ってるみたいだったよ。
昨日までは無かったのにね。不思議。」
「そりゃすごいや。今度ボクにも見せてよ。」
「いいよ。すばるは何かいいもの見つけた?」
「聖徳太子」
「へっ?」
「聖徳太子っていう昔の人の伝記を借りてきた。」
「何それ〜〜〜〜〜〜〜。さっぱりわかんな〜〜い。」
すぴかは空の虫かごとお稽古バッグを持って
すばるは聖徳太子の入った鞄を背負って門限の6時を目指した。


「「ただいま〜〜」」
双子が玄関に辿りついた時、ちょうど時計が6時を告げた。
シン…とした邸の空気にあれっと顔を見合わせた双子は
リビングに入った。
誰もいなかった。
さらにキッチンを覗いてみた。
誰もいなかった。
「「お母さん??どこ」」
返事はなかった。
「お母さん今日遅くなるっていってた?」
とすぴか。
「ううん。それにこのボードには(午前中レッスン)
としか書いてないよ。どうしちゃったのかな
お母さん。」
と冷蔵庫脇の壁にかかっているホワイトボードを見て
すばるが言った。
「おじいちゃんに聞いてみようか。たぶんお部屋だから」
そうすぴかが言って二人がキッチンを出ようとしたとき
「う、う〜〜〜〜ん」
リビングの方から声が聞こえてきた。

「「お母さん!!」」

ソファの陰の床の上に母がうずくまっていた。





「フランソワーズ!!」
連絡を受けたジョーが、なんとか仕事を切り上げて
いつもより早く研究所に戻ってきた。
「「お父さん」」
心細げに双子がジョーに飛びついてきた。
「フランソワーズ、お母さんは?」
「おじいちゃんと地下のお部屋に一緒にいる」
とすぴか。
「お父さんが帰ってきたら、すぐに知らせてって
おじいちゃんに言われてる」
とすばる。
「あいや〜ジョーはん帰って来たネ。すぐ地下室へ
急ぐことね。」
キッチンから顔を出したのは張々湖だった。
「大人…!!」
横浜で中華料理店をグレートと共同で営んでいる張々湖。
研究所から比較的近い位置に住んでいる彼は
ジョーやフランソワーズがメンテナンスの間
双子達の面倒をみるために忙しい中、グレートと交互に
今まで何回か研究所にやってきたことがあった。
その彼が今ここにいる、ということは…。
「わかった」
一言ジョーは言うと双子を張々湖に預けて
地下へと降りて行った。


「ジョー、明日できれば緊急にメンテナンスを行う。手伝っておくれ」
ジョーの姿を見るなりギルモアがそう告げた。
「はい。博士、あのそのフランソワーズは…」
ベッドに目をつむって横たわっているフランソワーズを
心配そうに見やってジョーが言った。
「いつものように、視覚関係のパーツの交換をすれば…大丈夫じゃ。ただ…」
「ただ?」
「わしも迂闊じゃった。一緒に暮らしているせいか
何かがあればいつでも対処できると、この子のメンテナンス
をギリギリまで先送りしてしまった。
たぶんそのせいじゃ…。無理をして、とうとう倒れこんでしまった。
最近はいろいろと忙しそうじゃったからの。フランソワーズは。
生き生きとしているこの子を見ていたら
その忙しさを無理に遮ることもあるまいと…。
こんなことなら強引に受けさせておくべきじゃった…。
今日もなんだか疲れた顔をしておったのに…。」
ギルモアはすまなさそうにジョーとフランソワーズを交互に見た。
「それは…。僕も同じです、博士。」
うなだれてジョーは言った。
確かに最近のフランソワーズは忙しくもあり楽しそうだった。

体を動かしていたい
何年もブランクがあるもの、早々舞台には立てないわ。
それでもいいの。大好きなバレエに触れているだけでも幸せ。

そういって街のバレエスタジオに通い始めたフランソワーズ。
その言葉通り、通い始めてから何年かはスタジオの発表会の舞台には立てなかった。
その代わり、発表会用の衣装の手配をしたり
時には小道具や小物を製作したり、果てはチラシやチケットの
手配をしたり、と裏方に徹していた。
(小さなスタジオなので、何からなにまで、生徒総出の手作りの発表会という感じだった。)
が、いつの発表会からか、毎日のレッスンの成果が現れたのか、
舞台の端で踊らせてもらえるようになり、
いつのまにか子供クラスの教えのアシスタントを務めるまでになった。
同性の友達も何人か出来、
発表会の度に、踊りはするものの相変わらず裏方仕事もこなし、
フランソワーズは充実していた。
そして、これが一番重要なのだが
すぴかとすばるの存在
ジョーとの間に生まれたこの双子の存在がさらに、
フランソワーズを生き生きとさせていた。
とうの昔に諦めていた愛する人との生活、子供たち…
それが、この時代にやってきて手にすることが出来たのだ。
フランソワーズは双子達を深く愛していた。


だから… とジョーは思った。

あんまりにも君が輝いていたから
少し疲れたような顔をしていても
満足げに微笑んでいたから
だから…
博士が言うように僕にもそれをさえぎることが
出来なかったんだ。

ギルモアの処方した薬のせいで
眠っているフランソワーズを見つめながら
ジョーは、博士の 大丈夫じゃ という
言葉とは裏腹に不安を感じ唇をかんだ。




あくる日の午後
フランソワーズのメンテナンスは無事に終了した。
だがしかし、双子は母に合わせてもらえなかった。
「大丈夫だよ。明日の朝になってお母さんが
目を覚ましたら逢えるよ。」
一旦上に上がってきて、そう双子に告げた父の瞳は、
いつものように優しい色をしていたが
しかし、母に会いたいという双子の願いを
キッパリとはねつけるように、再び地下へと降りていってしまった。
ギルモアもまた地下から引き上げ、暫く自室で休んでいたものの
また地下へと降りてしまった。
双子は、いかなる時も地下へ降りてはいけないことになっていた。
大人たちがきつく双子に言い含めていたし
第一、普段は地下への通路の入り口の扉には鍵がかかっていて
入り込めないようになっていた。
それは、
大人達がまだ双子に本当のことを話すのはまだ早いと考えていたからであって、
(メディカルルームはサイボーグである、両親や仲間達の治療の場であったから)
だいたい、様々なコードにつながれている
メンテナンス中の、両親の姿を双子に見せるのは酷というものであった。
敏感な双子達は大人達の秘密をうすうす感じ取り
本能的にその秘密に触れることを避けていた。
だからこそ
素直に父の言葉に逆らわず、母に会いたい気持ちをこらえた。
きっといつものように、そう いつものように!なのだ
明日の朝になったら母は父に抱かれて上に上がってくる。
少しだるそうにして、すっかり父に頼りきった様子で
すっぽりと父の腕におさまって母は必ず自分達のところへと戻ってくる。
(完全に回復を待たないうちに上がってくるのは単に
無機質な地下室に何時までもいるのをフランソワーズが嫌がり
普段の生活空間に早く戻りたがる故だった。
もちろんギルモアのOKが出ての話なのだが…。)
そうして、少し恥ずかしそうにしながら必ず母はこう言うのだ。
「二人とも寂しくはなかった?
もう少しするとお母さんは元気になるから そうしたら
みんなの好きなオーツビスケットを焼きましょうね。」と。

早く明日にならないかな…

双子は強くそう思いながら、張々湖とともに床についた。
昼間、うずくまる母を見てしまった双子もまた
いつになく不安だったのだ。



結局次の日の朝になっても双子は母に会えなかった。
母が目覚めなかったからだった。
「学校へ行っておいで」
朝食をとりに上に上がってきたジョーが
双子に言った。
「でも、でも、お母さんは?朝には会えるって
言ったじゃないか〜お父さん。」
とすばる。
「お父さんはどうするの?お仕事お休みするの?
ずっとお母さんのそばにいるの?
そんなのずるい。わたしだってお母さんのそばにいたい!」
とすぴか。
困ったな…とジョーは頭を掻きながら言った。
「多分、お母さんはものすごく疲れていてお寝坊さんなんだよ。
もう少し眠らせてあげたいんだ。みんなが学校に行っている間
にゆっくりと休めばきっと元気に起きてくるから。」
「ホントだね。本当にお母さんおきてくるよね!」
真剣にすばるがジョーに詰め寄った。
「あ、あぁ。すばる。さぁ、行った行った。」
双子をさっさと研究所から出してしまうと
ジョーはまた地下へと降りていった。

ギルモアは様々な機器からデータを読み取り
フランソワーズの様子をうかがっていた。
「どうですか?」
そんなギルモアにジョーが声をかける。
「どこも異常なしじゃ。メンテナンス中もこれといったトラブルもなかったしの。
もう目が覚めてもいい頃なんじゃが…。」
「子供たちが心配をしていました。早くお母さんに合わせろと
せまられてしまって…。」
「ん〜〜そうじゃの。もう大丈夫じゃろうから
もう少ししたら、二階の寝室に移してやてもいいじゃろう。
いや眠っていてもかまわんよ。そっと静かにな。
子供たちも、フランソワーズの顔を見れないのでは
かわいそうだからの。」
そんなわけで、フランソワーズは寝室に移されたが
目覚める気配はまったくなく、こんこんと眠り続けていた。
いや、ただの一度だけ目を開けた。ジョーがフランソワーズを
両の腕に抱えて階上へと向かう途中で。
焦点の合わない瞳をジョーにむけて一言
「兄さん」とつぶやくと再び目を瞑ってしまった。

フランソワーズに兄がいたことをジョーは知っていた。
もう随分と前にフランソワーズが話してくれたのだった。
「生きているかどうかもわからないし、
たとえ生きているとしても、今更逢えないし
逢う気もないわ。」
そうフランソワーズは寂しそうに言っていた。

君は今、夢の中でお兄さんに逢っているのだろうか…。

ジョーは少しうらやましくフランソワーズを見つめた。
今はこうして自分にも家族ができたが
孤児として育った自分には血のつながった肉親がいなかったのだから。



「「お母さん、まだ眠っているの?」」
きっと母はもう元気に起き上がっていて
一緒にビスケットを焼くつもりになっていた
すばるとすぴかはがっかりして言った。
学校から帰って来た双子が目にしたのは
寝室でいまだ眠ったままの母の姿だった。
「ねえ、いつ起きるの?4時になったら?
それとも5時?」
今にも泣きそうになりながら、すばるが言った。
「早く起きないかなぁ〜お母さん。」
と萎れた表情のすぴか。
「みんな、もう少しお母さんを眠らせてあげようね。
さぁ、下へ行って、オヤツ食べよう」
ジョーはそう双子に言ったが、内心穏やかではなかった。
こんな事は初めてだった。
いつもなら、メンテナンスの後のフランソワーズは
いくらなんでももう目を覚ましていい頃だったし
それに薬の効果はとっくに切れている時間だった。
とにかく、もう暫く様子を見ようとギルモアは言っている。
自分も、今はそうするしかないと頭ではわかっている。
しかし
ともすると、このままフランソワーズは目を覚まさないのではないか
という不安にかられるのだった。
ジョーは、自分の気持ちが双子に映ってしまわないようにする事で
せい一杯だった。




不安は的中した。
次の日も、また次の日もフランソワーズは眠り続けた。
データ上はどこにも異常はない、ギルモアにも原因は何であるのか
さっぱりつかめなかった。
再びフランソワーズを地下へ、メディカルルームへ移すかどうか
ジョーとギルモアは話し合ったが、引き続き寝室で様子を見ることになった。
いくらサイボーグであっても、何日も飲まず食わずという状況には
限界があったので、フランソワーズには栄養を運ぶ点滴が取り付けられた。
編集部には当分顔を出せそうに無いと踏み
ジョーは寝室にパソコンを持ち込んでフランソワーズの側で仕事をした。
ジョーの勤める雑誌社の編集長は少し変わった人物だったが、
理解があった。
がしかし、この状況で仕事をするのはジョーには苦痛だった。
いつものようにうまくレポートをまとめる事ができずに苦戦していた。
双子は学校へ行っても授業は上の空だった。
特にすばるはフランソワーズが倒れてからというもの
落ち着きがなかった。得意の漢字もまったく頭に入らなかった。
ジョーにしつこく何時ごろになったら
母は起きるのかと聞いて回ってジョーを困らせた。
すぴかはすぴかで
今日こそは母が起きているかもしれないと
期待に胸を膨らませて家に帰ってきては
眠っている母を見て肩を落とす
そのことの連続に疲れていた。

フランソワーズは周囲の心配をよそに
時折楽しい夢でも見ているのか
微笑みをうかべて、穏やかに眠っていた。

原因は何なのか

それを探る事ができるかもしれない
唯一の人物 イワンは今だ夜の時間の中にいた。






そして一週間が過ぎた。






すぴかは、いつものように学校から帰るとすぐに
母が眠っている寝室へと駆け上がった。


どうぞ、今日こそはお母さんが起きていますように…!


そう願いつつ
ただいま…と言ってすぴかが寝室へ入ろうとすると、ドアがすこしだけ開いていた。
すぴかはあんな父の姿を見るのは初めてだった。

母の手をとり自分の頬におしあてて
何事かつぶやいている
父の背中が震えて泣いているように見えた。

まさか…!

父は自分達には決して涙を見せなかった。
すぴかの胸の奥がチクンと痛んだ。
父と母が深く愛し合っているのは知っている。

おとうさんが、が泣いている…!?

すぴかにはただ事ではない事の様に思えてきた。
たしかに母は眠り続けてはいるが、そのうち目を覚ますだろう
と楽観していた。
でもいまや、そんな悠長に構えている場合ではないように
思われて仕方がなかった。
現にあれからすでに一週間たっているではないか。


どうして?
早く目を覚ましてよ。お母さん。
お父さんも、すばるも、おじいちゃんも 私も
これ以上待てないよ!


心の中で悲鳴をあげながらすぴかは階段を駆け下りた。
途中、後からやって来たすばるとぶつかったが
かまわなかった。
テラスに出ると海の湿った風がすぴかの髪を跳ね上げた。
いつの間にか流していた涙のせいででくしゃくしゃになりながら
隅っこにしゃがみこんだ。
そして、思いつくまま子供らしい懺悔をはじめた。
「私があんまりお転婆だから、お母さん、あきれて眠ったままなのかな…。
神様お願いです。これからはおしとやかにします。だからお母さんを
私たちのもとにかえしてください。この間のことは本当にあやまります。
ごめんなさい。
海で捕まえたナマコを黙ってシンクに入れておいた私が悪かったんです。
お母さんがあんなにびっくりするとは思わなかったんです。
颯君が、あれっておいしいんだよって教えてくれたから、お母さんも喜ぶと
思ったんです。
それから百足をトイレに流したのもあやまります。生き物をトイレに流すなんて
やってはいけない事でした。百足は刺すからあぶないと思ったんです。
お箸でつまんでどうしていいかわからなかったから、トイレに持っていったんです。
最初上手く流れなくて水の底の方にまた戻ってきてしまいました。
それを見つけてお母さんは真っ青になってしまいました。
それから…。」

「すぴか まだ他にあやまる事があるの?」

すぴかが振り向くとすばるがいつの間にか
テラスにやってきていた。

「すぴか 泣きながら行っちゃうんだもん。
どうしたかと思って…。」
「聞いてたんだ」
「…うん」
「お母さんが眠っているのは
すぴかのせいってわけじゃないよ」
「どうして?だって、おじいちゃんも、お父さんも
はっきり教えてくれないじゃない。
きっと、私のせいなんだ…!」
「違うよ」
「違わない」
「違うってば!!」
大きな声を出したすばるにすぴかはびっくりした。
「すばる…」
「違うんだ、僕のせいなんだ。」
「…?」
「僕…入ったんだ。地下室…。」
これにはすぴかもびっくりした。
いくらお転婆とはいえ、そこまですぴかには出来なかった。
「…??えっえーーーーーー!!!
 す、すばるやるじゃん。いつ入ったの?」
すぴかから、先ほどまでの神妙な気分はすっかり
吹き飛んでしまった。
少し気が弱いところがあるすばるが、この私を差し置いて
なんてダイタンな…とすぴかは、ちょっぴりすばるを見直していた。
「6月○日金曜日。午後4時」
時間まで答えるのがすばるらしかった。
「ぼく、どうしてもおじいちゃんに聞きたい事があって
…学校の宿題で…お母さんもお父さんも家にいなかったし、
すぴかじゃきっとわからないし…ていうか遊びに行ってていなかったし」
「わからないって どーいう事よー」
「いてっ叩かないでよ〜〜」
「で、で、それから?」
すぴかは興味津々で続きをすばるに促した。
「おじいちゃん、部屋にいなくて、探してたら
あの地下室の入り口の前に…」
地下室には秘密のにおいがぷんぷんしていた。
大人たちは何故あんなにムキになって自分達に近寄ってはいけない
というのだろうか。
その秘密について とても質問できない雰囲気が大人たちの間にはあった。
もしも質問したなら、何故か父や母が遠くへ行ってしまうような
そんな感覚さえした。
だからずっと双子はそれには触れないようにしていた。
だが、最近小学校に上がってから、特にすばるは
触れてはいけないと思いつつも、知りたくて知りたくて仕方がないようになってしまった。
物心ついた頃から、たまに両親が長い間、家を空けることがあった。
そのたびに自分達はコズミ博士の家に預けられるのだが…
その事と密接につながっているようにも思われた。
すばるは、なんとか地下室を覗いてみたかったがガードが固くて
かなわなかった。
しかし、その日、6月○日金曜日にチャンスは巡ってきた。
祖父(本当の祖父ではないのだが)を探しているうちに
すばるは地下室の入り口の前まで来ていた。
扉に手をかけると、なんと動くではないか!
鍵がかかっていなかったのだ。
すばるはドキドキしながら中へと入っていった。
「中に何があったの?宝物?金貨かなにか?」
すぴかが言った。
「何にもなかった。真っ暗で。階段を下りようとしたんだけど
あんまり暗くて怖くなっちゃって…
すぐに廊下にでてきちゃった。」
たとえ一歩でも地下室へと入ってしまった。
このことが両親に知れたらひどく叱られる。
いや叱られるだけならまだいい。
ことによると自分達の前から両親がいなくなってしまうかもしれないのだ。
そう思ってすばるは、ずっとこのことを黙っていたのだった。
「な〜〜んだ、つまらないの。何か見つけたら面白かったのに。」
少しがっかりしてすぴかが言った。
「な〜〜んだじゃない!」
すばるが涙目で怒鳴った。
すでに天罰はすばるに下されていたのだった。
「だから、だからお母さんが眠ったままなんじゃないか!
みんながダメっだっていうのに
僕が地下室に入ったからお母さんは戻ってこないんだ。
僕のせいなんだ!」
わーーーと泣き出すすばるを見て
すぴかは再び悲しくなってしまった。
わんわん泣きながら二人でただひたすら神様に謝っていた。
「「ごめんなさい、もう いけない と言われた事はしません。」」
「決して蝉をお稽古場に持っていきません。」
「「だから神様どうぞお母さんを返してください」」

(しょーがないなぁ二人とも。本当に反省しているな?
大丈夫 お母さんは返してあげよう。)

突然双子の頭にひらめくように声が降ってきた。
「「神様本当ですか?」」
(本当さ)
すぴかの腕がずっしりと重たくなった。
神様の正体はイワンだった。
(おっとーーーすぴか、ちゃんとボクを抱っこしてよ)
突然現れたイワンを受け止めきれずにすぴかはよろけてしまったのだ。
「「イワンいつ起きたの?」」
(ついさっき。なんだかいろいろと大変なようだね。)
「うん、お母さんが…。」
とすばる。
(なんとかなるよ。これからジョーのところへ行くけど
その前にミルク作ってくれないかな。
腹ごしらえしなくっちゃなんにもできない。)
イワンの声を聞いて双子はすっかり安心した。

自分達よりもはるかに小さな赤ん坊のイワン。
ずっと赤ん坊のイワン。
不思議を見せてくれるイワン。
それこそ自分達が生まれた時からずっと
一緒にいるので双子はイワンの存在を不思議とも
思ってこなかった。

イワンもきっと地下室と関係があるんだ

ひらめいたすばるは思った。
しかし、もう悲しい思いはしたくなかったので
口にはださなかった。
とにかくイワンの言うことに昔から間違いはない。
イワンが大丈夫だといったら大丈夫なのだ。
双子ははいそいそとキッチンへ向かうと
大雑把なやり方ではあるがイワンのミルクの支度をした。


BACK/NEXT
inserted by FC2 system