Sweet Valentine
                     byめぼうき


「少し早かったかしら…」
サーシアは恋人との待ち合わせ場所であるカフェのカウンターで、オーダーした
ホットショコラを受け取ると、窓際に席を見つけて座った。
ちょっと空気は冷たいが、天気のよい土曜日の街中は行きかう人々で賑わっ
ていた。中には手をつないで歩いている恋人同士と思われるカップルもちらほ
ら見受けられた。そんなカップルにサーシアはつい視線を向けてしまうのだっ
た。

  みんな楽しそう。もうチョコレート渡したのかしら。それとも本番当日なのか
  なぁ…。

バレンタインデーを控えた週末とあって、あちこちの商店の店先にはチョコレ
ートやら関連商品やらが置いてあり、街中華やいでいた。
「うふふ・・・今年はがんばっちゃった。喜んでくれるといいな。」
サーシアは自分のバッグを見つめると嬉しそうに、でもすこしだけ心配そうに
微笑んだ。
サーシアは夕べ、遅くまでかかってお手伝いの千代と母親に手伝ってもらいな
がらチョコレートケーキを焼いた。そのレシピは「最高のチョコレートケーキ」と
料理家が紹介しているもので、確かに出来上がったものを試食したところ、今
まで作った中で一番の出来だった。
そのケーキがきれいにラッピングされて今サーシアのバッグの中に入っている。
「いつもどこか焦げすぎちゃったり失敗してたもの。でも今年は大丈夫。」
千代は、「完璧でなくてもいいんですよ、気持ちですからね」と言ってくれるのだ
が、納得していないサーシアだった。しかし今年のチョコレートケーキの出来は
思いのほかよかったので、彼女はちょっぴり胸を張れる思いがしていた。もっ
とも出来が悪くともサーシアの恋人は、毎年「ありがとう」といって美味しそうに
ぱくぱくと食べてくれるので、サーシアが心配する必要はまったくないのだった
が…。

  お母様とお父様は今頃バレンタインイベントで防衛軍の大会議室ね。
  デートはイベントが終わってからゆっくりするって言ってらした。
  ふふふ…お父様とお母様はきっといつものように二人の世界ね。
  …それにしても、夢のようだわ…。

サーシアはホットショコラを一口すすると、しみじみとあたりを見回した。
サーシアは大人になるまで限られた空間で、限られた人たちだけに囲まれて
育った。大人になって、地球型の環境でも生活できるようになると、以前の環
境からは開放されたが、それでも今だに地球での光景が彼女には新鮮に映る
ことがある。

  あたしも、この街の人たちの中の一人。なんだか不思議。

この世に生まれ落ちてからずっと走り続けててきたような気がしていたサーシ
アだった。
地球人ではありえないスピードで成長し、成長したと思ったらいきなり戦争に
巻き込まれた。ただただ一所懸命だったから本人にはまったく自覚はなかった
が、周囲にいわせると戦争中大変な活躍をしてくたくたになった。その戦争も
終結し、地球へやってきてからは戦後のごたごたの片付けや、訓練学校への
正式な入学。卒業してからは科学局の真田の元で働いている。なにやかや
で、彼女にはずっと休む間がなかった。
でも・・・とサーシアは思う。
忙しかったけれど、楽しいことも沢山あったし、とても大切なものも自分に降っ
てきたわ・・・と。

  あ・・・・

サーシアは何かを感じて、あらためて窓の外をじっと見つめた。
一人の青年がサーシアに向かって手を振っていた。
彼女に降ってきた“大切なもの”をくれた、その人だった。
「やぁ」
と言って、その青年 加藤四郎 はカフェ店内に入ると、サーシアの向かいの席
に座った。
「今日がお天気で本当によかったわ。すっごく楽しみにしていたんですもの。」
「日ごろの行いがよろしいからですね、姫君。」
「ええもちろんですわ。」
二人は顔を見合わせて、陽気に笑った。





「わぁ〜〜〜い、おにいさま、見て!クマさん、クマさん、クマさん、クマさん♪
かわいい〜〜〜♪」
サーシアと四郎の二人は遊園地に来ていた。
クマの着ぐるみを着た学生アルバイトが来場者に風船を配っていた。
「おにいさま か」
四郎は、しょうがないなぁ〜といった感じで軽くため息をついた。
「完全に今日俺は保護者だな こりゃ。」
サーシアは普段は四郎のことを名前で呼んでいるのだが、今は昔の小さなサ
ァちゃんに戻ってしまったようだった。
ずっと前から二人は休みを調整し、バレンタインデー直前の週末のデートは遊
園地にしようと決めて計画を立てていた。以前、サーシアがイカルスから一時
帰国していた時に、父親と一緒に遊園地に遊びに行き、とても楽しかった思い
出があり、また行ってみたいとサーシアが願ったからだった。
「どうぞ」
クマさんが赤いハートの風船をサーシアに差し出した。
「ありがとう」
受け取ったサーシアはにっこりと微笑んだ。
その微笑があまりにもかわいらしかったので、着ぐるみの中の男性アルバイト
君はどきりとした。
「ほら、行くよ!」
なんとなく様子を察した四郎は、サーシアの手をひっぱってぐいぐいと歩き出した。
「どうしたの〜おにいさま〜。」
「なんでもない」
「へんなの〜。あん、もぉ〜〜〜」
サーシアは四郎にひっぱられるように引き摺られていった。




きゃぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

サーシアと四郎の二人を乗せたジェットコースターは塔のてっぺんから一気に
レールを滑り落ちていった。それからはアップダウンを繰り返し、ガクンガクン
と方向転換したと思ったら、ぐるんぐるんと回転し、気がついたらスタート地点
にもどっていた。

「ねぇ、ねぇ、も一回!」
「え、だってまた30分並んで待つよ」
「いいの、お願いっ」
遊園地の売りである一見古典的なジェットコースターを きゃあきゃあ 叫びな
がら堪能したサーシアは四郎にせがんだ。
サーシアにしてみれば、滑り落ちる時のふわっとした感覚が、直接肌に当たる
勢いのある空気が、魅惑的でたまらなかった。要するにジェットコースターに嵌
ってしまったのだ。
「しょうがないなぁ〜」
「うふふ、ありがとう〜〜」
興奮のために上気した頬はほんのりと赤く、目をキラキラさせたサーシアの頼
みを四郎は断わることが出来なかった。
二人は列の最後尾に再び並んだ。
週末とあって、遊園地はそれなりに混んでいて、どのアトラクションも順番待ち
の人の列が出来ていた。

  並んで待ってまでも乗りたいだなんて、よほど気に入ったんだな…

四郎はサーシアの横顔を眼を細めて眺めた。
「おにいさま、付き合わせちゃってごめんなさい。」
「え?」
「あたし、嬉しくってつい。ジェットコースターに乗っているとね、空気が顔に
ものすごい勢いであたるでしょ。ちょっと気持ちの悪い重力も感じるの。でも
ね、そんな時、ああ、あたし地球にいるんだ〜って、地球を感じるの。
だから…」

  ああそうか、そういうことか…

四郎はサーシアの今までを想いながら、彼女の頭に手をやると蜂蜜色の髪を
くしゃっとやった。
「気にしなくていいよ。」
「おにいさま。」
「せっかくの休みなんだから、楽しもう!」
四郎の発した言葉がやわらかな水のようにサーシアを包みこんだ。
サーシアは目をまんまるく見開いて四郎を見上げた。
「…はい!」




「美味しい〜♪」
「そりゃあ、アレだけ騒げばお腹も空くって」
サーシアと四郎はベンチに座ってクレープを食べていた。
結局四郎はサーシアに付き合って3回ジェットコースターに乗る羽目になった。
サーシアは乗るたびにきゃあきゃあ大きな声を出して、それは大変な騒ぎだった。
「うふふ〜〜。いいの、お腹が空いたら美味しくいただけるでしょう」
そう言って、サーシアはいちごとたっぷりのクリームを巻いたクレープにぱくいた。
「ほら、ちゃんとお行儀よくしないと、姫君が何をお召し上がりになっていたのか、
この遊園地の中にいる人みんなに知られてしまいますよ。」
「え?」
四郎はクリームがついたサーシアの唇を見て笑った。
「あら、嫌だわ。おにいさま、そんなに笑わないで!」
「ごめんごめん」
四郎はサーシアに、クレープを買った時に一緒にもらった紙ナプキンを差し出した。
「ありがと。」
二人は 美味しい、美味しい といいながらクレープを食べ終わると、しばらく
の間ベンチに座ってぼんやりと園内を眺めていた。
「…久し振りだわ。あんなに大きな声だしたの。ね、覚えてる?イカルスでみん
なで鬼ごっこしたの。」
「ああ。懐かしいな〜。」
「訓練生のおにいさまやおねえさま、教官や天文台の職員の人、真田のおじさ
まや、お母様まで。あたしは子供だったけれど…今考えたら馬鹿げているけ
ど、みんないい大人が真剣に鬼ごっこしたのよ、あんな狭い講堂で。楽しかっ
たなぁ〜。あの時のことを思い出しちゃった。」
「あれなぁ〜〜。最初はサァちゃんと俺とあと2,3人でふざけて始めたんだっ
たよね。それがなぜかあんな大鬼ごっこ大会になってしまったんだ。ひと段落
した時、みんなで大声で笑ったっけ。」
「そう、そう…!」
「終わったあと結構気分がすっきりしたんだ〜。やっぱりイカルスは狭い空間
だったから、何か発散したいと思ってた。」
「あの時にみたいにね、今日はとっても楽しいし、気持ちがいいの。」
「俺もさ。」
二人は満ち足りた気持ちで顔を見合わせた。
「ね、次はアレに乗りたい!」
そういってサーシアが指差したのは大きな観覧車だった。
「OK〜」
「さぁ、行きましょ!おにいさま!!」
立ち上がるとサーシアはずんずんと観覧車目指して歩き始めた。
「ははは、元気だねぇ〜〜」




その観覧車はゆっくり、ゆっくりと回っていた。
サーシアと四郎の眼下には、街並みが広がっていた。
家やビルの間にぽつぽつと緑が見える。そのずっと先には未開発エリアの荒
涼とした土地もかすんで見えた。そろそろ傾きかけた太陽を押しやるようにして
冬の雲が空に広がりはじめていた。
二人は寄り添って、自分達を取り囲む景色を静かに眺めていた。
雲間から薄い太陽の光がこぼれてサーシアを照らした。
彼女の蜂蜜色の髪はつややかに光り、長いまつげが少しうつむき加減の彼女
の頬に影を落とした。

  なんて美しいんだろう

四郎は心の中で感嘆の声をあげ、昔、何かで見た天使の絵のようだと
ぼんやりと思った。
「あ…」
ふいにサーシアが声をあげた
「何?」
ふふふ…と笑いながらサーシアは自分のバッグの中から小さな包みを一つ取
り出し、四郎に差し出した。
「ハッピーバレンタイン〜♪ 四郎君に日ごろの感謝と愛をこめて。
四郎君、当日は月に行っちゃってていないんですもの。」
「そうだったな。」
「あのね、今年は大成功なの!自信作よ。」
「あれ?じゃあ、去年までのは失敗作ってワケかい?」
と四郎はからかうようにサーシアに言った。
「そ、そういうわけじゃないわ。ちゃんと一所懸命に作ってたもの。」
サーシアは幾分気分を害したとでもいうように頬を膨らませて、ぷいっと横を
向いてしまった。
そんなサーシアの様子に ああ、そうか と四郎はあらためて思った。
絵の中の天使ではありえない、ジェットコースターに乗ってきゃあきゃあ言った
り、笑ったり、今みたいに拗ねたり、くるくると表情を変えて生きているからこそ
サーシアは美しいのだ と。そういうサーシアを心からいとおしいと四郎は思った。
「サーシア、ありがとう。」
四郎は静かにサーシアを見つめて言った。
「四郎君…。」
四郎の包み込むような深いまなざしにサーシアの心臓は とくん と鳴った。
「じゃあ俺からも、サーシアに感謝と愛をこめて。」
と四郎はそう言うとボディバッグの中から小さな包みを一つ取り出した。
その包装紙を見て
「まぁ!」
とサーシアは目を輝かせた。
「覚えていてくれたの?ここのチョコレート、前から食べてみたいって思ってた
の。嬉しい〜。」
「……」
「どうしたの?四郎君?」
四郎が、まだ何かを隠しているような、いたずらっぽい表情をしたので、サーシ
アはいぶかった。
「実はね、もう一つ君に渡したいものがあるんだ。」
「?」
四郎は今度はジャケットの内ポケットから、光沢のある白い包装紙の、細い金
色のリボンのついた小さな包みを取り出すとサーシアに差し出した。
「これは?あの…」
「うん、開けてみて。」
サーシアはどきどきしながらリボンをとき、白い包装紙を開いた。中から紺色
の小さなビロードの箱が出てきた。
はっとなってサーシアが四郎を見ると、さらに 開けてみて と言うように四郎
が頷いた。
サーシアが箱の蓋を開けると、そこには綺麗な白金のリングが輝いていた。
「四郎君…あの、これ…」
その指輪はリボンをあしらったデザインで、シンプルだが非常に美しい線を描
いていた。
「覚えているかい?モールのおもちゃの指輪。」
「もちろん!覚えているわ。四郎君が作ってくれた指輪ですもの、ずっと私の宝
物なの。あ…これはあの指輪と同じ…そうでしょう?四郎君。」
イカルス時代、サーシアがほんの子供だった頃、四郎がサーシアに、お菓子
の袋を止めていたモールで指輪を作ってやったことがあった。それは、ほんの
おままごとのような出来事だったのだが、サーシアはそれを父が母に贈った指
輪のようだ と非常に喜んで左の薬指につけてはしゃいでいた。
「そうだよ。あの指輪を、おもちゃじゃなくて、ちゃんとした形にして君にいつか
渡したいって思っていたんだ。君のご両親に、君とお付き合いさせてくださいっ
てお願いした時からね。これは本物のプラチナじゃあないけれども…将来のこ
とを想っている君に贈りたいんだ。」
サーシアは は っとした。
「四郎君…本物かそうでないかなんて関係ないわ。すごく嬉しい。」
サーシアが地球で本格的に暮らすようになって数年。度重なる戦争で、女性
が身につけるような貴金属は殆ど失われ、今出回っている、いわゆる貴金属
だとされているアクセサリー類はみな人工のものであることをサーシアも知っ
ている。人工のものであっても技術は発達しているから出来は非常によかった
し、むしろ本物より加工しやすい面もあって、精巧な細工がされた装飾品も数多
く出回っていた。それ故値が張るということも、そして常に品薄状態で手に入り
にくいこともサーシアは知っていた。これまで防衛軍という限られた世界では
あったが、社会に出て働いてきたのだ。サーシアには、この指輪を購入するために、
四郎がそれなりに背伸びしたことは容易に想像がついた。サーシアはその四郎の
気持ちがとても嬉しかった。
「君のお父さんとの約束の5年が過ぎたら、正式に君に結婚の申し込みをするよ。
その時は…」
サーシアは胸がいっぱいになって思わず四郎に抱きついた。
「!」
「ありがとう、四郎君。ありがとう…。私、この指輪、左の薬指にはめるわ、その
時まで。ううん、ずぅっと、これがいい。大切な宝物の指輪が形になっているん
ですもの。」
「サーシア…」
四郎は静かに微笑むとサーシアの左手をとり、小さな箱から取り出した指輪を
彼女の白い薬指にはめた。
サーシアはしげしげとリングが輝く自分の薬指を眺めると四郎を見上げた。
サーシアの瞳は宵の明星のように清清しく、吸い込まれてしまいそうなほどだ
った。
四郎はサーシアの頬を優しく両手で包み込むと、そっと彼女の唇に口づけをし
た。軽くふれあういつものキスなのに、サーシアの心臓は何故かドキドキと波
打ち、彼女は少し戸惑いを覚えた。彼女は自分の頬がどうしようもなく火照る
のを感じて思わず四郎の胸に顔をうずめてしまった。四郎はそんなサーシアを
強く抱きしめ、彼女の髪を優しくなでた。
やがて四郎はサーシアの体を静かに離すと、再び彼女に口づけをした。深く、
彼女の中に自分の想いのすべてを注ぎ込むように深く…深く…。

  …!…

熱い何かがサーシアの全身を駆け巡った。
頭の奥がしびれて真っ白になるのをサーシアは感じた。
こんな感覚は初めてだった。

   …し ろ う く ん …

サーシアは四郎の背中に両手を回し、自分もまた四郎を強く抱きしめた。
一時の情熱がサーシアの中を駆け抜けると、その後にやってきたのは、あの
やわらかな水に包まれる感覚だった。

  …ああ…

サーシアは四郎の中の広い海を感じとり、ゆったりと自分の心を四郎に預けた。





ひらり

白いものが空から落ちてきた。
まだ少し雲間から午後の空がのぞいているというのに。

雪がふわりふわりと空中を舞う。

「雪…雪だわ。きれい〜。」
恋人達は外の景色に見とれた。
わずかな光を受けて、雪は星のように輝いていた。
「きれい〜〜。ね、こんなにきれいなんですもの、ずっと降っていたらいいのに。」
「そりゃあ、困るな。そんなことになったら積りすぎて、家に帰れなくなる。」
「もぅ〜〜!四郎君はロマンチックじゃないんだから〜!」
サーシアはぷぅっと頬を膨らませて怒ったフリをしたが、ふっと表情を緩めると
「でも、帰れなくってもいいな。四郎君と一緒に少しでも長くいられるのなら。」
と言った。



もうじき二人を乗せた観覧車は地上に降りる。
それまでのわずかな時間を惜しむように、恋人達は寄り添って外の景色をじっ
と眺めていた。
雪がやさしく二人に舞い落ちてくる。
熱い想いが二人の心に降り積もる。

おしまい


2013.2.24



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