おまじない



「もう知らない!」
そう言ってカフェを飛び出した。
それが一ヶ月前。
あれから彼は仕事で火星へ行ったきり。

はぁ・・・・
なんで私あんなこといっちゃったのかな・・・・

彼とはずっと連絡が取れないでいる。
こんなことは初めてだった。
もっとも相手の出張先は火星だ。
そう簡単に個人で連絡を取れる場所ではないけれど・・・。
それでも以前の彼だったら出張のたびに
自分宛に通信局を通してメッセージを送ってくれていた。

きらびやかなイルミネーション
さすがに師も走ると言われるほどの季節
人々は足早に通りを行き交う。
最初のうちこそ心の中がもつれた糸のようにこんがらかっていたが
日が経つにつれてどうでもよくなり
だんだんと後悔の念が頭をもたげてきた。
忙しそうにしている人々の中で
自分だけが置いてけぼりをくらったような気分になった。


どうしているのかな。
体調は大丈夫かな。
・・・・・
このまま終わってしまうのかな・・
私達。


目を閉じて彼のことを思う。
穏やかな笑顔
自分の頭をくしゃりとしてくれた大きな手
私の話すことをじっくりと聞いてくれた瞳
彼の瞳・・・・
そう、あのとき彼があんな瞳で自分を見つめてきたからいけないのだ。
まっすぐに心の奥に飛び込んでくるような眼差し。
今までになかったことだった。
私はどうしてよいかわからずに彼から逃げた。
あのまま飛び込んでいたら私はどうなっていたんだろう。


でも・・・・・


このままずっと彼に会えなかったら?
もう二度とあの人の手にも触れられず、声を聞くことも出来ず・・・
そんな思いが頭をよぎったとたん
背中がぞくっとして自分の手で自分を抱きしめた。

きっと私は耐えられない。

そうなると決まったわけでもないのに
気持ちがどんどん沈んでゆく




会いたい・・・・!




「誰に?」
はっと顔を上げると
母が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
私ったら帰宅してからもぼーーーっとしっぱなしだったんだ。
「あなたが会いたいってつぶやいたから。」
どうやら気づかぬうちに声にだしていたらしい。
「泣いて・・・・いたの?」
私、涙なんて流してないのに
母にはかなわないな。
「ううん・・」
とりあえず否定してみるけれど・・。
「あなたの心が泣いているように見えたの。」
母はそう言ってマグカップを私に差し出した。
私の好きなココア
母が淹れたココア
いつもは口の中が甘ったるくなり過ぎて
文句を言ってばかりだったのに
今日はその甘さが心に沁みていくようだった。

あれ・・・?

ぱたぱたと勝手に涙が落ちてゆく。
どうしちゃったのかな・・・・。
母は何も聞かずに私を抱き寄せ背中をさすった。

・・・・・・
・・・・・・

聞き覚えのある子守唄を母が口ずさんでいる。
今はもう存在しない母の故郷の唄。
私が子供のころ母がよく歌ってくれた歌。
この唄を聴いているちに気持ちが落ち着いてきた。
でも
「私、もう子供じゃないわ。」
と言ってしまう。
「そうね。」
母はにっこりと笑って
「あなたの想う人はどんな人?」
と続けた。
「お母様!そんなんじゃ・・」
言いかけてやめた。
「あなたを見ていて少し昔のことを思い出したわ。」
「・・・?」
「はっきり言わないと伝わらない想いもあるの。」
「お母様?」
母が次になんていうのか私はどきどきしながら言葉を待ったけれど
そこでチャイムが鳴って母は玄関へと行ってしまった。

・・・・・・
・・・・・・

父だ・・!
父が長期出張から帰ってきたのだ。
二人が言葉を交わしている。
宇宙の歴史の中に埋もれてしまった
母の故郷の言語を使って。

一瞬
二人の周りは何もなくなる。
お互いを思いやるやさしい空気だけが
二人を包む

子供のころはそんな仲のよい両親の姿が無条件に嬉しかった。
けれども大人になるにつれ一抹のさびしさを感じるようになった。
あのひと時だけ、ほんの一瞬なのに
彼らから自分の存在が消えてしまうような気がして。
でも
そうではないことがわかった。
あの戦いから還ってきた・・あの日
艦から降ろされたタラップの先に
私を心配する両親が立っていた。
父の目は厳しく
母はもとから細かったのにいっそう細くなったように見えた。
私が二人に近づくと待ちきれずに二人が私に駆け寄って来た。
やっぱり今日みたいに母は何も言わずに私を抱き寄せ背中をさすってくれた。
そこに父も加わり3人で

固く抱き合った

お互いの無事と存在を確かめるように。
その時にはっきりとわかった。
両親の心の中にはいつも私が存在しているのだということが。
消えてしまうなんてことはありえないということが。
両親の愛の中に私はいた。
その日の夜、なかなか私を離したがらない母と私は一緒に寝た。
神経が高ぶってなかなか寝付けなかったけれど
母が子守唄を歌ってくれ
知らぬ間に眠りに落ちていた。


両親はお互いに愛の言葉をかわすとき
必ず母の故郷の言語を使う。
それは気恥ずかしさからくるのか
今だにとっさの時は故郷の言葉が思わずこぼれ出る母に父があわせているのか
私にはわからない。
そういえばいつか聞いたことがあったっけ。
そうしたら
「忘れないため。」
という答えが返ってきた。
どうも、故郷の人と話す機会が永久に失われてしまった母のために、
母が寂しくないようにとの父の母への思いやりが働いているように思えた。
なら別にいつでも使えばいいのに。
結局気恥ずかしいんだ
と両親のことが少しかわいく思えた。


「あの〜〜〜〜〜〜いつまで待てばよいのでしょうか〜?
お腹すいたんですけど。夕飯、私先に食べてていい?」
二人の世界に浸っている両親に意地悪く私は声をかけた。
母は顔を真っ赤にしているし(今更〜〜〜〜)
父はコイツ〜と笑顔まじりに私を軽く睨んだ。

はぅ〜
こういう両親を持つと年頃の娘は疲れるんですけど。


ふいに携帯が鳴った
何か予感めいたものを感じながら私は携帯の画面を開いた。
彼からのメッセージが刻まれていた。


「会いたい」


ああ・・・・・
帰ってきたんだ地球に・・・・
よかった・・!
・・そうだ
・・・そうだ・・!

そわそわしている私に
「これから出かけるのでしょう?」
と母が声をかけてきた。
ああ、もう本当に母にはかなわない・・!
「うん。でも遅くならないうちにちゃんと帰るから。心配しないで。」
「出かけるってどこへ?お腹すいたんじゃなかったのか?」
父が不思議そうにしている。
そんな父がすべてに気づかぬうちにさっさと家をでなければ。
私の気持ちを察した母が早くとばかりに私の背中を押した。
「さぁさぁ、行きなさい。マフラーは?手袋は?外は寒いわよ。」
そして
「・・・・・・と思い切って言ってごらんなさい。おまじないよ。きっとあなたの想う人に届くわ。」
母はそういって私を玄関から送り出した。

・・・・・・とはどういうことだ
なんで君は行かせたんだ〜
とひどく不機嫌な父の声と
まぁまぁ、あの子はいつまでもこどもじゃありません。
としらっと父をあしらっている母の声を後ろに聞きながら
私は急いだ。

彼が舞い降りてきた
宇宙港へ・・!


まっさきになんて言おう
いえ、謝るの。
そう謝るの。
そしたら・・・・

・・・・・・

って言うわ。
どんな顔するかな?
あの人には理解できない言葉なんだもの。
でもこれはおまじない
私があの人に気持ちを伝えることが出来るように。
そのあと地球の言葉でちゃんと伝えるの


アイシテルワ


おしまい

2010.12.24

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