雨上がり 「いやぁ降ってきた!」 先ほどまであんなに日が差していたというのに、いつの間にか雲が広がり、そ のうちぽつりぽつりと空から落ちてきた雫は地面に水玉模様を作りはじめた。 古代守は食料品の入った袋を下げて街中を足早に家へと急いだが、とうとう 雨は本降りになり、彼はあきらめて近くの商店の軒下に避難した。 ちゃんと天気予報を確認してくるのだったな・・。 「じゃあ行ってくるよ。」 日曜日の午後、妻にそう言って街へ買い物に出かけた守だった。妻は今身重 で、最近悪阻のためか気分のすぐれない日が続いていた。そんな彼女を気遣 って出かけた買い物だった。日曜日はお手伝いの千代は休みだったから、今 はあまり動くことの出来ない妻のために守は買い物をし、食事を作ろうと思っ ていたのだった。両親を早くに亡くしてしまったせいもあるが、生前の両親のし つけもあってか、守と進兄弟は、ずっと身の回りのことや食事を作ることをそれ なりにこなしてきた。それなりに・・・ではあったけれど、だから守はそういったこ とはあまり苦にならないのだった。 うーーん、しばらくやみそうにないな。 道の向こう側に守が目をやれば、茶色と緑が入りまじった空き地が雨にけむっ て見えた。落ちてくる雨は生暖かく、そろそろ冬が終わることを告げていた。 昔お袋が、ひと雨ごとに春になるって言ってたな。 懐かしさに思わず目を細めた守だった。が、のんびり思い出に浸っている場合 ではなくなってきた。雨はいよいよ激しく軒下にまで細かいしぶきが入ってく る。どうしようか、と守が考えていると、ふと今自分が避難している店先はカ フェの入り口付近だということに彼は気がついた。 ならばとりあえず・・・・ ちりん・・・・ そのカフェのドアは自動ではなかった。守がドアを押すと、ドアに取り付けられた 小さなベルが鳴った。 「いらっしゃい」 店の奥から主らしい男性の声が聞こえた。 これはまた・・・なんというか、古風な・・・。 守は照明が少し落とされた店内を興味深く見渡した。 そのカフェはカフェというよりは喫茶店といった趣だった。 深い茶色のテーブルとゆったりとした椅子。窓辺やテーブルの上、いたるとこ ろに、小さなグラスに挿した道端に咲いているような素朴な花が感じよく飾ら れていた。店の奥にはカウンターがあり、そこに店主はいた。彼はどちらかと いうと体格がよく、頭には白いものが混じっていた。目は柔和な光をたたえて おり、それが店全体のふんわりとした空気を作り出していた。店主の背後の壁 には間隔の狭い棚が設けてあり、そこにティーカップや珈琲カップが綺麗に並 べられていた。 「いらっしゃい。お好きな席にどうぞ」 店主に言われて守は思い切ってカウンター席に座った。 「お客さん、少し濡れちゃいましたね。」 「ええ、まぁ。」 「雨はもっと遅くに降る予報でしたからね、あわてた人も多いでしょう。 あ、メニューはここに」 そういって店主は守に小さなメニュー表を差し出した。 「じゃあ、ブレンドを」 「かしこまりました。」 守があらためて店内を見渡すと、やはり守と同じように雨宿りをしているらしい 客が数人、思い思いの席に座ってくつろいでいた。窓の向こう側では相変わら ず激しい雨が降っていた。 ふぅ・・・このまま雨がやまなかったら、どうやって帰ろうか。 あんまり遅くなりたくはないな。スターシアが心配だし。 濡れるの覚悟だな。まぁ帰るだけだからいいか〜。 荷物はみんな食材だし、多少濡れてもかまわない・・か。 守がそんなことをぼやぼや思っていると 「傘、お借ししますよ。」 「え?」 守の心の中を見透かしたように店主が言ったので守は目を丸くした。 そんな守を見て店主は柔らかな微笑みを浮かべて言った。 「お客さん、雨宿りでこの店に入ったのでしょう?荷物の中に傘はなさそうです し。雨の日にはお客さんに傘をお借ししているんですよ。」 「あ、ありがとうございます。」 「さぁ、どうぞ。」 店主が守の前に珈琲カップを スっ と差し出した。 いい香りが守の鼻をくすぐった。 「いただきます。」 ミルクも砂糖もいれずに、そのまま守は珈琲を一口飲んだ。 美味い・・・! 守は久しぶりに珈琲を飲んだ気がした。遊星爆弾の被害がまだ日本に及んで いなかった頃、守は家族で入った店で本物の珈琲を飲んだことがあった。それ 以来かもしれない。その後、地上は本当にめちゃくちゃになってしまったから本 物の珈琲豆など手に入りようがなかった。だから合成の珈琲ばかりを飲んでき た。それは珈琲というよりは珈琲飲料だった。 「おいしいですね。久しぶりです、こんなにおいしい珈琲を飲んだのは。でも、 これって・・。」 「合成ですよ。」 「ええ!」 「ふふふ・・・でも、コツがありましてね、これは企業秘密です。私だけの味と風 味を工夫しているというわけなんですよ。」 「そうですか」 そんな店主のこだわりの中に、日々の生活の中の楽しみを忘れない地球人ら しいたくましさを見つけ、守は嬉しくなった。 真田にこの店を教えよう。アイツもこだわる方だから、きっと喜ぶ。 そんなことをつらつらと思いながら、ゆっくりと珈琲をすすっていると、ふとある ものが守の目にとまった。それは店の隅っこの壁にかかっている一枚の絵だ った。この絵を描いた人間はどこか小高い山の上にいたのだろう。見下ろすよ うに手前に緑の木々が茂っており、その向こうにはきらきらとした海が見えた。 さらにその向こうにはうっすらと半島が横たわっていた。緑の上をそよ風が通 り過ぎ、さわさわと音を立てているように守には感じられた。絵の中の空は青 く、空気はまるで雨上がりのように澄んでいた。どういうわけか守の胸が少し 疼いた。 守!虹よ、虹がみえるわ・・・。 ふいにスターシアの声が聞こえた気がした。 ああ・・・ そういえば、かの地で虹を見たことがあったな・・。 守は思い出した。 あれはいつのことだったろう。結婚して間もないころだった・・・・と。 その日、イスカンダルは朝から雨が降っていた。 いつもなら宮殿のバルコニーから遠く見渡せる海も今日はどんよりと曇って、 はっきりと見えなかった。 「イスカンダルにも雨は降るんだな」 守がそうぽつりというと 「ええ、降りますわ。ふふふ・・・雨がふらなければ地上のものは育ちませんも の。」 スターシアは笑って言った。 「いやぁ、晴れているところしか知らなかったものでな。イスカンダルでは永遠 に雨はふらないのかと思ってしまったよ。」 「ごめんなさい、守。そうでしたね。守が眠っていた数ヶ月の間にも雨の日はあ ったの。」 「そうか」 「昨日、この季節最後のイスカンダルブルーを見に行きましたわね。あの花が 終わりになるころ、イスカンダルでは雨の降る日が多くなるのです。」 「雨季、というわけか。」 「そうです。私たちは 緑の雨 と呼んでいます。もちろん毎日降っていると いうわけではなくて、晴れ間もあります。」 「地球でいったら梅雨といったところかな。」 「つゆ??」 「うむ、地球にもイスカンダルと似たような季節があったんだよ。」 「まぁ」 「進たちがまたその季節を感じられるようになるといいな・・・。」 「そうね。」 しばらく二人は黙って窓の外の雨を眺めていた。 「本当に久しぶりだ・・・雨を見るのは。」 「そうなのですか?」 「ああ。遊星爆弾で海が干上がってからは地球に雨は殆ど降らなくなってしま ったからな。子供のころ、雨の日は外で遊べなくて退屈したものだったけれど ・・・。」 「・・・・・。」 「そうだ、今から外へ出てくる。」 「え?守、濡れてしまうわ。」 「なぁに、中庭をぐるっと一回りするだけだから。肌で雨を感じたいんだ。どうし ようもなく・・・・・!!」 そう言うが早いか守はスターシアがとめる間もなく、中庭へとすっ飛んで行って しまった。 「仕方のない人。」 守を追いかけてスターシアが中庭へ通じる出入り口までやってくると、中庭の 真ん中で目を瞑り、上を向いて佇んでいる守が見えた。 「まも・・・。」 スターシアは声をかけようとしてやめてしまった。 一身に雨を体全体で受け止めている守の姿はとても真摯だった。 自分にとっては当たり前の雨でも守にとってはそうではないのだ。 そうスターシアは痛感した。 しばらくそっとしておきましょう。 あまりに雨がひどくなるようなら声をかけてみることにしましょう。 スターシアは部屋へ引き返すと、守が戻ってきたときのために乾いたタオルと 着替えの服を用意した。そうしてからまた中庭への出入り口までやってくると、 今度は守は中庭をゆっくりと歩いていた。いくらか雨が弱くなってきていた。 空もだいぶ明るくなってきたようだ。 「守!そろそろ中へ入らないこと?」 「ああ・・・」 守がわかった というようにスターシアに向かって手をあげた時だった。 「ああ・・・!守・・!守・・・!」 「ん?どうした?」 怪訝な顔をして守がスターシアに近づいてきた。 「ほら、あそこ。」 「え?」 「守!虹よ、虹が見えるわ。」 スターシアの指差した方向に守も目を向けると はるか彼方、宮殿の塔の向こうに綺麗に弧を描いた虹がかかっていた。 いつの間にか雨はやんで、薄日が差していた。 「・・・・・・!」 二人は言葉もなく、ただただ虹に見とれていた。 スターシアの頬にいつの間にか涙が流れ落ちていた。 「スターシア?」 「ありがとうございます・・。」 「え?」 ふふふ・・と涙を拭きながらスターシアは守に微笑みかけた。 「イスカンダルでは虹は幸運の象徴なの。虹を見たものはイスカンダルに祝福 されていると・・・。」 「それで・・・」 「そう、それでイスカンダルにお礼を。」 「そうか」 「私は幸せよ。」 「俺もさ。」 「お客さん?どうしました?」 「あ・・ああ・・。」 店主に声をかけられ、いつのまにか思い出に浸って、ぼーっとしていたようだ と気がつくと、守はバツがわるくなり頭をかいた。 「すみません。ちょっと思い出したことがあって。ところであの絵は?」 「ああ・・・あれですか。あれ、私が描きました。」 「マスターが?」 「はい。趣味で描いているものなんですが、普段は厳しい感想しか言わない家 内が珍しくあの絵をほめてくれまして、それで気をよくして店に飾っているので す。」 「いい絵ですね。私には雨上がりの風景に感じるのです。」 「そうですか?きっとこの雨のせいで、そう感じるのかもかもしれませんね。」 「そう・・・ですかね。」 絵の中には雨を感じさせるものはなにも描かれていなかったが、何故か守に は雨あがりの風景に見えるのだった。そして思い出の中の光景のように、絵 の中に虹までかかっているように感じた。 どうしてそんな風に感じるのか、守はようく絵を見つめた。 確かに店主の言うようにこの土砂降りのせいでそう感じるのかもしれなかった が・・・それ以外にも何かあるような気がしてならなかった。 あ・・・・・・・!そうか、それで・・・だ。 守は気がついた。絵の中の風景が、イスカンダルの宮殿近くの丘の原から 眺めた風景に似ていることに。 懐かしいイスカンダル。 つい数ヶ月前までかの地で暮らしていたことを思うと、守には今こうして地球で 生活していることが夢のように思えた。いやイスカンダルでの生活の方が夢だ ったのかもしれない。 「それ、私の生まれ育った三浦半島の風景を描いたものなんですよ。遊星爆 弾の落ちる前のね。」 そう店主が言ったので守は仰天した。 なんという偶然だろう。 「私も三浦半島の出身なんです。」 「ああ!そうですか!どのあたり?」 偶然同郷人に出会えたのが、店主もよほど嬉しかったのだろう。 彼は目をきらきらさせて、そう守に聞いてきた。 「三浦海岸の近くです。」 守が答えると 「ああ、のんびりとしたいいところですね。私は逸見なんですよ。」 と店主が言った。 「そうですか。基地のあったところですね。」 「ええ。」 「この絵は不思議ですね。見た瞬間からとても懐かしいと感じていたのですが、 三浦の風景だったとは・・・。 でも実は妻の生まれ故郷の風景にも似ていると感じているんです。」 「そうですか。奥さんの故郷は?」 「ここからは、遠い遠い場所です。今は跡形もなくなってしまいましたが。」 「そうでしたか。もっとも地上はみな遊星爆弾でやられてしまいましたからね。」 「私はこの街へやってくる前は妻の故郷で暮らしていました。本当に偶然です が、マスターの絵があまりに妻の故郷の風景に似ていましてね、つい懐かしく て色々と思い出してしまいました。今日はこの店に入ってよかった・・・!」 「そう言ってもらえると私も嬉しいです。」 「奥さんは今日は?」 「ああ、今妊娠中で」 「それはおめでとうございます。」 「ありがとうございます。悪阻でここのところ気分がよくないのです。家で休ん でいますよ。」 「ああ、それで奥さんのためにアナタが買い物に。いえ、すみません、袋からミ ニトマトがのぞいていたものですから。」 「ふはは・・まぁそんなところです。」 「最近は、レタスやほうれん草といった葉物や、もやし、トマトなどずいぶん本 物が出回るようになりましたね。」 「そのようですね。今日も他にサラダ菜やら万能ねぎやら買ってしまいました。 妻になるべく本物を食べさせたいですから。」 「いいですね〜。奥さんは幸せだ。やさしいダンナさんで。」 守は少し気恥ずかしくなった。 「あれは水や肥料、あと管理する光があれば屋内でも育てることができますか らね。各地で 野菜工場 がどんどん建てられているようですよ。」 と店主が言った。 「そうですか。」 「ところで、アナタは料理がかなり出来るクチとみました。」 「いやぁ、そんなことは・・・。」 「これ持っていきませんか?」 といって店主が守に差し出したのはアスパラガスの束だった。 「これ・・・これは!」 「私がプランターで育てたものです。今朝収穫したんですよ。お店で使おうと思 っていたのですが、あなたのお話を聞いてぜひ持っていって欲しいと思いまし て。」 「いや、でもこんな貴重なものを・・」 「奥さんに、ですよ。地球にとって女の人は宝です。生まれてくる命はみんなの 宝です。いや、でも悪阻といっていましたね。大丈夫かな??」 「たぶん大丈夫だと思います。」 「ああ、もしもダメだったらアナタが食べてくださればそれでいいです。あなたの ような若い人にがんばってもらわないとね。地球の未来のために。」 そういって店主はにやりとした。 「あの〜〜〜。」 「ふふふふふ」 店主はアスパラガスを新聞紙にくるんで守に渡した。 「おや、雨があがったようですよ。」 窓の外が先ほどよりも明るかった。雨が屋根をたたく音もやんでいた。 「あ、じゃあ私はこれで。え・・とお代は・・・・ですね。」 「はい丁度いただきます。」 「アスパラガス、どうもご馳走さまです。きっと妻も喜ぶと思います。」 店の外に出た守の心はほっこりとしていた。 店主の気持ちが守にはありがたかった。 今度、スターシアをあの喫茶店に連れて行こう。 あの絵を見たら気持ちが晴れるかもしれない。 うん、是非そうしよう と守は心に誓うのだった。 あ・・・・・・! 街並みの向こうに虹がかかっていた。 スターシア!虹だ!虹だよ!! 足取りも軽く守は家へと急いだ。 おしまい。 2012.4.17 TOP |