キミノナマエ



防衛軍本部ビル内の食堂は最上階ではないもののかなり眺めのいい位置にあった。
お昼の一番込んでいる時間は過ぎていたため、食堂内に人はまばらだった。
久しぶりに所用で本部に顔を出した四郎は本部内の科学局で働いているサーシャとともに
窓際の席に陣取ると、他愛もないお喋りをしながら、ゆったりした気分で少し遅い昼食をとっていた。
「今、防衛軍の寮暮らしなんだって?」
「そうなのよ。お父さまに家を追い出されたの」
「え??」
「うふふふ。私、他の地球の人達のようにいわゆる学生生活を送ってきたわけでもないし
もっと大勢の人に揉まれてきなさいって。集団生活も経験しなさいって、お父様がおっしゃったの。
集団生活なんてヤマトで経験済みなのにね。」
それはそうだが、かなり特殊な環境だったぞ
と四郎は思った。
「本当は、軍を辞めて大学か専門学校か、とにかく学校へ行って欲しいらしかったんだけど、私、今の仕事好きだし
辞めたくなかったの。もしも勉強したいことが出てきたら、休職して学校へ通うか、仕事しながら夜間に通うわ。」
「どう?寮生活は」
「う〜〜ん。面倒なこともあるけど、楽しいわよ。」
「ふ〜〜ん」
「お友達も出来たのよ。それでね、面白いのよ、なんだか知らないけど
私の事、叔父様やお父さまの従姉妹だとみんな思っているらしくって
説明するのも面倒だからそう思わせているの。」
サーシャは、正式には古代・澪・サーシャといった。書類上そのようになっている。
いろいろと面倒な事も起きるかもしれなかったが、自分の本当の名前を、
母がつけてくれたイスカンダルの名前を隠しておくのは嫌だった。
そして、育ての親のつけてくれた名前も大切にしたかった。
それで、古代・澪・サーシャなのだが・・・・・
周囲の人間は、殆ど彼女のことをサーシャと呼ぶ。
それは、23世紀においては金色だろうと茶色だろうと赤色だろうと珍しくなくなったとはいえ、
それでもなお日系ではちょっとみかけない感じの彼女の流れるような金の髪がそう呼ばせているのかもしれなかった。
彼女のことを澪と呼ぶのはイカルスの訓練学校で一緒に訓練をし、そのまままヤマトに乗り組んだ四郎達、
元ヤマトの乗組員や育ての親の真田のみだった。
ただ、彼女の事を正しく理解しているのは何故かほんの一握りの人間だけだった。
自分が古代守の娘であり、イスカンダルの血をひく人間であることを特に隠しているわけではなかったのだが、
その珍しい苗字が一人歩きしてしまい、サーシャはあの古代進や古代守の遠い親戚、または従姉妹などと
思い込まれてしまうのだった。彼らに似ているサーシャ。(当たり前だ、一人は実の親で、一人は叔父なのだから)
しかし一年やそこらで、赤ん坊から17歳の乙女に成長するなどと
誰もちょっと想像出来なかったので、そう思われても仕方のない事だった。
「お母様かお父様はどこか外国の方なの?」
よくサーシャは人からそう質問された。
「ええ母が・・・、ものすごく遠い国の人だったと父から聞いています。(だってイスカンダルは遠いもの。)
母は私が赤ん坊の頃に亡くなったので私は母のことをよく覚えていないんです。(ウソじゃないわよ。)
父は母のことをとても愛していたので、母が亡くなったことを悲しんで、
私にあまり母の国のことを話してはくれないんです。(ゴメンナサイ、お父様私ウソつきます。)
その父は、暗黒星団帝国侵略のおり・・・・・」
そこまで説明すると必ず相手は
「まぁ、お父さま、お亡くなりになったのね」
と勝手に言い出すので
サーシャも ハイそうです と答えて適当にあしらっていた。
だからサーシャは周囲からは、父母を亡くした、古代兄弟の従姉妹と思われていた。
いちいち会う人会う人にキチンと説明するのは面倒だったこともあるのだが
地球で生活をするようになって、彼女の意向とは関係なく、そのかわいらしくも美しい容姿から好奇の目で見られることが度々あった。
そんな視線がサーシャは大きらいだった。隠すつもりはなかったが、自分がイスカンダルの血をひく人間であるとわかったら
さらに好奇の目が向けられる事だろう。周囲には古代兄弟の従姉妹ということにしておいた方が、ある意味都合がよかった。

「俺、来週から月基地に行く事になりそうなんだ。」
食事も終わり、食後のコーヒーを飲んでいた時、四郎が言った。
「え?また急なのね。いったいどのくらい」
「う〜〜ん、まだちょっとはっきりしていないんだけど・・・たぶん1年ほど」
「そう・・・」
サーシャの胸の奥が何故かチクリとした。
思わず涙がこぼれそうになったサーシャは自分に驚いた。
その感情がなんなのか、サーシャは自分に戸惑うばかりだった。
現在久里浜の飛行訓練所勤務の四郎と科学局勤務のサーシャは
お互い忙しかったがそれでも時間をみつけては会ったり連絡を取り合っていた。
四郎とやり取りする時間が一番サーシャはには安らぐ時間だった。
その四郎が月へ行ってしまうという。
月へは定期連絡船も出ているし、地球からは目と鼻の先というイメージだがそれでも地球外である。
四郎とは今まで以上に連絡がとりずらくなってしまう。
またチクリと何かがサーシャの胸の奥を刺した。
泣き出しそうな表情をこらえ、少しうつむき加減に
「気をつけていってらっしゃい。寂しくなるわね。」
と言ったサーシャに四郎は少なからず動揺した。
たぶん笑っていってらっしゃいといわれるだろうと思っていたのに、そうではなかったからだった。
「あの、あの、月だし、必ず連絡いれるし、休みには地球にも帰ってこれるし、だから・・・」
「うふふ・・・かならずメール頂戴ね。」
「ああ・・そうする。・・・もし休暇の時、地球へ帰って来るようなことがあったら、その連絡いれるから・・」
「そしたら会いましょうね。月のお話も沢山聞かせてね。それから・・そう、お買い物に付き合ってくれる?」
「え〜〜〜!女性の買い物は長いからなぁ・・・・」
わざと、さも嫌そうに四郎が言った。
「だ、ダメ??」
鳶色の大きな瞳でサーシャは四郎を見上げた。
「う・・・し、仕方ないナァ〜、お兄ちゃんとしては、可愛い妹のお願いとあってはかなえてあげないとな。」
何故か心臓がドキドキしてくるのを必死で抑えながら、つとめて明るく四郎は答えた。
「それからそれから、O通りに素敵なカフェを見つけたの、そこにも行ってみたいな・・四郎君と・・・・」
「え?」
サーシャの最後の方の言葉は消えてしまいそうなほど小さかった。
「今、なんて・・・・?」
空耳ではないかと四郎は思った。サーシャが自分の事を名前で呼んだのだ。
今まで一度たりとも彼女が自分の事を名前で呼んだことがなかった。
いや、名前で呼ばれたことはあったが必ず「おにいちゃま」がついた。
ストレートに名前というのはなかったのだった。
「加藤君のこと、名前で呼んではだめ?」
それはサーシャの素直な感情だった。どうしてなのかわからなかったが
サーシャは四郎のことを、苗字でも、「おにいちゃま」でもなく名前で呼びたかった。
「かまわないよ 澪」
ゆっくりと丁寧に、四郎はサーシャの瞳を見つめて答えた。
四郎はサーシャの感情を真摯に受け止めたのだった。
地球に帰還して間もない頃、降りしきる雨の中
「ただいま」と叫んでいたサーシャを見て以来、四郎の中にある想いが芽生えていた。
だがその想いは自分からの一方的なものかもしれず、今までそれを悟られないようにする努力をしていた四郎だった。
しかし、もうその必要はないのかもしれなかった。
まっすぐに四郎に見つめられたサーシャは、体が熱くなるのを感じた。
もしかしたら、以前のように無邪気に何でも話してくれなくなるかもしれないと思ったが、
四郎は思い切ってサーシャの手の上に自分の手を重ねた。
今までも、何回か手を組んだり、つないだりして歩いたことはある。
しかし、それはサーシャが四郎を兄のように友達のように慕って纏わりついてのことだった。
今回のそれは、今までのものとは意味がちがっていた。
四郎の行動にサーシャはハっとしたが手を引っ込めることはしなかった。
「俺も・・・君の事、もう一つの名前で呼んでもいいかな」
サーシャはかすかに頷いた。



四郎は月へと旅立った・・・・
が・・・・・・
ものの一ヶ月で彼は地球へ帰ってきた。
実は、月基地で継続勤務が不可能な病人が出て、その穴埋めに正式な交代要員が決まるまでという事で四郎に白羽の矢がたち
急遽彼の月基地行きが決定したのだったが、なにせ極端な人材不足のご時世、そう簡単に交代要員が決まるとも思えず、
上からは1年は覚悟しておけと言われていた四郎だった。
が、幸運にも?あっさり交代要員が決定し、四郎は地球へ帰ってきたのだった。
久里浜でも四郎をそう長く月へやっておきたくはなかった。


「1年って言ったじゃない!」
とサーシャから何故か怒ったようなメールが四郎のもとへ送られてきた。

なんで怒ってるんだ??

さっぱりワケがわからない四郎だった。
自分の思いあがりでなければ、
彼女は自分の月行きに寂しさを感じてくれたのではなかったか??

サーシャは何故自分が怒っているのか分からなかった。
1年だと思っていたのが1ヶ月で四郎が地球へ戻ってきたのだから喜ぶべきことではないか。
しかし・・・・しかしなのだ、
1年だと思ったからこそ、離れるのが寂しいと思った。
自分の中の素の感情が四郎に知られてしまった気がしてなんだか気恥ずかしかった。
少し落ち着いてからまたサーシャは考える。
離れるのが1年だから自分は寂しいと思ったのだろうか?
いや、多分違う。離れている時間的な長さは関係がないように思われた。
サーシャは自分の感情をもてあましていた。
見えない何かが昨日までの少女のサーシャを明日へと導いていこうとしていた。
とにかく怒ってはいたが
サーシャは四郎のことを名前で呼ぶことはやめなかった。


おしまい


2006.8.5

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