きょうの料理


「ただいまー」
島村さんが仕事から帰ってきました。
リビングでは、おじいさんの博士と赤ちゃんのイワンが
のんびりとテレビを見ていました。
「おぉ、ジョー、お帰り」
「ただいま、あれ、フランソワーズは?」
奥さんの姿が見えないことに島村さんは気がつきました。
「ああ、今日はなんでも大事な用があるとかで
午後から出かけたよ。そろそろ帰ってくるじゃろうて」
「・・そうですか。あ、もうこんな時間・・。
なのに、彼女がいない、ということは・・・
博士、夕飯まだですよね。今すぐなにか用意しますね。」
「あぁ、それならだいじょうぶじゃ。
そのへんにあるものを、つまんだから・・。
ほれ、昼の残りのチャーハンがあったでの。
イワンにはさっきミルクをやったし・・・」
「チョット、アツカッタケドネ」
「そうだったかの・・・フフフ」
「だめですよ、それだけじゃ。今作りますから。
博士、野菜も取らないと駄目ですよ。」
時計は午後7時を回っていました。
島村さんはキッチンに入ると、冷蔵庫をあけて
中にあるもので何が出来るか考えました。
こういうのは、昔から得意でした。
なにしろ、教会の施設で育った島村さんは
小さな頃から、一人で何でもするように躾けられてきましたし、
炊事も一通りの事は叩き込まれていたのです。
(外出かぁ・・・そんな事、今朝は言っていなかったけど
なにか急用でも出来たのかな・・・)
などと思いながら、夕飯の用意に取り掛かかろうとした、その時
「ただいま〜〜〜」
と玄関の方から、明るい声がしました。
「ごめんなさい、おそくなっちゃって。あ、博士、
今すぐにお夕飯にしますね」
大きな袋を抱えて奥さんが帰ってきました。
「どうしたの?何かあったの?連絡をくれれば、ちゃんと買い物して
僕が夕飯を用意しておいたのに・・。今ありあわせのもので
何か作ろうって思っていたところなんだけど。」
心配そうに島村さんが言いました。
「ジョー、ごめんなさい。今日、どうしても行かなければ
ならない所があって、それは後で話すわね、そのあとすぐに帰ろうと
思ったんだけれど、どうしても、シャンピニョンを買いたくて・・」
「はぁ???」
「ほら、今日のお夕飯のために、シャンピニョンがほしかったの。
この辺のスーパーには、どうしてなのか置いていないから・・」
「それで、その、シャンピニョンを求めて、こんなに遅くなった
というわけかい?それにしても、そんなに沢山買ったの?」
島村さんは、奥さんが抱えている、買い物の大きな包みを指して言いました。
「あら、やだ〜〜、これは違うの。あとでみんなであけましょうね。
とにかく、シャンピニョンなのよ!うふふふふ・・・。
今、すぐに作るからまってて!うふふふふ♪」
妙にハイな奥さんに、なにかひっかかるモノを感じる島村さん。
「あ、僕も手伝うよ!」
「ありがとう。でも今日は一人で作らせてね。遅くなったのに悪いんだけれど・・。
その代わり待っていて!私のとっておきのお料理を食べさせてあげるから。
私にとっては、特別なものなのよ。ええ、もちろんフレンチよ!
さっ 20分で晩御飯 だわ!いそがなくっちゃ!」
いそいそと、奥さんはキッチンへ消えてゆきました。



特別な料理ってどんなものだろう。
島村さんは気になって仕方がありません。
「ねぇ、やっぱり手伝おうか?」
キッチンの入り口で奥さんに声をかけますが
「だめだめ、ジョーはリビングで博士たちと待っていてね♪」
と楽しそうな奥さんの声が返ってくるばかり。
仕方なしにみんなとテレビなどを見て待つことにしました。
テレビでは旅番組をやっていて、鎌倉の町並みが映っていました。
「鎌倉かぁ・・この間フランソワーズと行ったっけ・・・
紫陽花がきれいで、はっぱにカタツムリなんかもいたりして・・・
・・・・カタツムリ・・・」

はた と島村さんは思いました。
さっき奥さんは、フレンチ と言っていました。
彼女は今までにも、フランスの家庭料理なるものを
みんなに披露してきました。が、何しろ今回は
「特別」です。そう、特別なのです。

「特別なフランス料理」

それは・・・・・・!
カタツムリ!・・・いや、エスカルゴ!
に違いありません。

そうです。奥さんはシャンピニョンがどうの、なんて言っていましたが
本当は、エスカルゴを探しに、遠くのデパートまで
行ったに違いありません。
それこそ、その辺のスーパーになど、ありませんから
帰りが遅くなったのも頷けます。
「エスカルゴってカタツムリの親戚みたいなものだよね。
そりゃあ、僕は戦士、(フランソワーズもだけど)
戦場では贅沢なんかいってられないから、いろんなものを
食べたヨ。生き抜くために・・。
それを考えたら、カタツムリなんて、どうってことない・・。
うん、カタツムリなんて・・・・。カタツムリなんだよね・・・・。
はぁぁぁぁぁ〜〜〜〜。カタツムリなんだよね・・・。」
島村さんは一つため息をつきました。
「昔、教会の庭にもカタツムリが沢山いて・・・かわいかったっけ・・・・。
野菜くずをあげたりして、飼ったこともあったなぁ・・・
二本のツノをひょんってだして、の〜〜〜っと
ゆっくり移動しているところなんか、なんとも言えず・・・。
・・・・・カタツムリかぁ・・・。
きっとフランソワーズの国の人は大好きなものなんだよね。」
また一つ島村さんはため息をつきました。
いくら、奥さんの好物でも、とても付き合えそうに
ありません。
「でも、魚が恨めしそうに、こっちを見ているって言って
最初は嫌がっていた、あじのひらきを、今はしっかり
食べてるよね、フランソワーズ。
日本食に慣れるよう努力したんだっけ。
だったら僕も、彼女のために努力しなくちゃ・・・。
うん、そうだよ・・・!」
ようやく島村さんが前向きな考えになった、
その時

「お待たせ〜〜〜〜〜♪」

キッチンから奥さんの声がしました。
どうやらエスカルゴ料理が出来上がったようです。



「おぉいい香りがするのう」
博士は、にこにこしていました。
島村さんは緊張していました。
イワンは無表情で籠に乗って浮いていました。

・・・どきどきどき・・・・

みんながダイニングテーブルについたところで
奥さんがオーブンのふたを開けました。
「今日は、本当に遅くなってごめんなさい。
・・・うまく出来たと思うのだけれど
暖かいうちに食べてね。」
そう言って、彼女は、なかから天板にのっかった
人数分のお皿を取り出しました。

どきどきどきどき・・・・・

奥さんがみんなの前に、料理のお皿を置いていきます。

どきどきどきどきどき・・・・・・

・・・・そして、
とうとう島村さんの前にもお皿がおかれました。

・・・・・あぁ・・・・!!

大丈夫、大丈夫、彼女のため、彼女のため
ダイジョウブ、ダイジョウブ、ダイジョウブ・・・

呪文のように頭の中で唱えてから
勇気をもって島村さんはお皿の中を覗きました。

「・・・こ・・これが・・・」

   

「パン入り野菜のキッシュよ」
奥さんが言いました。

「は???」
「具沢山の玉子焼きのようなものじゃね(←?????)」
と博士。
「玉子焼き???」
ちょっと拍子抜けした島村さんが聞きました。
「あり合わせの野菜をいためて、グラタン皿に
入れるの。その上から卵と牛乳を混ぜた生地を流し込んで
オーブンで焼いたのよ。
本当はタルト生地を敷きこんで作るのだけれど、
それは省いて、代わりにパンをちぎって敷いたわ。
これは私の母のやり方。」
「そ、そうなんだ・・・・」
内心ほっとした島村さんです。
「特別なフランス料理って言っていたから
どんなのかなぁ〜って思ったんだ。」
(何ダト思ッタノ?ジョー。フフフ・・・・)
すかさずイワンがジョーだけに、テレパシーで
突っ込んできました。
(人が悪いよイワン。君は知っていたんだろう?)
(イヤァ、ヤッパリ、タネアカシシタラ、楽シミ
ガ減ッチャウカラネ♪ジョー、相当悩ンデイタミタイダネ。)
(・・・・・・・・・・・)
「あら、これは特別よ。私にとっては、だけれど。
だから、どうしても一人で作りたかったの・・・。」
テーブルにつきながら奥さんが言いました。
「私、子供の頃、母が作ってくれたこの野菜のキッシュが大好きだった。
お誕生日に、特別においしいものを作ってあげるけれど
なにがいい?って母に聞かれて、野菜のキッシュ って
答えたら、あらまあって笑われちゃったの。
それぐらい好きだったのよ。それ以来、お誕生日はもちろん
なにか嬉しいことがあった時には、必ず野菜のキッシュが食卓に
のぼったわ。そのうち、自分でも作ってみたくなって・・・
母に教わった、思い出の味なの・・・。
ね、だから、特別で、母直伝のフレンチでしょ?」
心なしか、奥さんの目が潤んでいました。
「うん、そうだね。じゃあさっそくいただきます♪」
つとめて明るく言うと、島村さんは一口キッシュを
口にはこびました。
「どうかしら?」
「おいしいよ」
「ほんとうに?よかったぁ〜〜
それでね、野菜はなんでも使っていいのだけれど、
母の味を出すのにはどうしても、シャンピニョンが必要だったの。」
「あぁ、それで・・・。これだったら、いくらでも野菜がとれますね。博士」
「うんうん、そうじゃのう。」
みんな嬉しそうでした。
そして、あっという間にたいらげてしまいました。



「おいしかったぁ〜〜。ところでさ・・・」
食器洗い機に、洗い物をセットした後
ほうじ茶をすすりながら、
横で、明日の分のお米をといでいる奥さんに
島村さんがふと思ったことを口にしました。
「お誕生日とか嬉しいことがあった時とか
特別なことがあった時に食べた料理だって言ってたよね、
野菜のキッシュ。
で、今日はなにか特別な日なのかな・・・」
奥さんの動いていた手がぴたりと止まりました。
「・・・・・・・・・。」
しまった、と島村さんは思いました。

もしかしたら、僕はとんでもないポカをしているのかもしれない。
今日は、なにか特別な記念日なんだ、きっと。
でも何の記念日なんだろう。思い出せない。思い出せない!
大切な日だからこそ、彼女は遠出までして材料をそろえた
というのに・・。それなのに僕はすっかり忘れてしまっている。
どうしよう・・・どうしよう。フランソワーズ黙っちゃってるよ。
怒っているよなぁ・・・。

頭の中にさまざまな考えが錯そうし、
島村さんは背中に冷や汗が流れてゆくのを感じていました。

「おめでたですって・・・・」

「はっ?・・・・そ、そーなんだぁ。
よ、よかったね、おめでたくて・・・・・」
「・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」

島村さんの頭の中は糸がこんぐらかった
ようになっていました。

「あの、その、フランソワーズ?」
「ふふふ、3ヶ月ですって」
「・・・・・・・・・。」
「半年後、あなたはお父さんになるの」
奥さんが、これ以上ない笑顔で
ゆっくりと言いました。

ようやく糸がほぐれてきました。

「そうなんだ、そうなんだ、やっほー♪」
あはははは と笑いながら
島村さんは奥さんをすばやく抱きかかえると
踊るようにキッチンを後にしました。
「ジョーまって、まだお米が・・」
奥さんは、嬉しさでいっぱいの島村さんを止めることができませんでした。
「博士!イワン!」



「はい、これは博士に、新しいワイシャツ。
はい、これはイワンに、このお洋服、クマさんマークかわいいでしょう。
こっちはジョーの。いい色のTシャツがあったから買っちゃった♪」
リビングで奥さんが大きな買い物の包みをあけていました。
「それにしても、博士もイワンも知っていたんですね。
な〜んか僕一人仲間はずれじゃないですかぁ」
ちょっとすねている島村さんに
「まあまあ、ちゃんと診てもらうまで黙っていてくれと
口止めされておったでの」
と博士はなだめるように言いました。
「コズミ君の知り合いの、事情をわかってくれている
産科の予約が今日じゃったんじゃよ」
「ごめんなさいね、ジョー。イワンには、そうだよって
前から教えてもらっていたし、自分でも確信はしていたんだけれど
どうしても、専門の先生に診てもらって、確かめたかったのよ。
なんだか、嬉しすぎて、信じられなくて・・・」
そういう奥さんのまっすぐな碧の目でみつめられると
島村さんは何もいえなくなりました。
彼もまったく気がついていなかったわけではありません。
ここのところ、奥さんの様子がなんだか変だと思っていたのでした。
けれども、まさか、妊娠しているとは思いいたらなかったのでした。
それでも島村さんは、最後の抵抗でイワンを軽くにらみました。
「ボクハ、ふらんそわーずノミカタダヨ」
イワンはさらりと言いました。
「でね、これが・・・じゃじゃ〜〜ん」
といって最後に奥さんが取り出したもの。
それは・・・・
「ベビー服??」
クリーム色の小さな服に、下着、かわいらしい靴下まであります。
でも、さっきイワンに・・・・言いかけた島村さんに
「私たちの赤ちゃんのよ。」
奥さんがにこにこして言いました。
「本当はね、病院の帰り、シャンピニョンなんてすぐに見つかったの。
あんまり嬉しかったから、なんだか赤ちゃんのものを
見て回りたくなっちゃって・・・・・。
デパートに立ち寄ったら、まあ色々あるのね。
どれもこれも、ほしくなっちゃったわ。
見てたら、あっと言う間に時間がたってしまって・・・
それで遅くなったのよ。」
「で、どうして、同じ服が2つあるんだい?」
「それはねぇ・・・」
「ジョー、2ツダヨ。ワカルカイ」
「ふ、双子なの?」
「ピンポ〜ン♪」
やっぱり、と島村さんはイワンを見上げました。
「イワン、この事も知っていたんだね。」
「ダカラ、言ッタデショ。
種アカシシチャッタラ、楽シミガ減ルッテ。
今君ハ十分感動シテイルダロウ?」



その夜遅くまで、研究所のリビングでは
楽しそうな笑い声や、話声がしていました。
家族が増えるってなんて素晴らしいことなんだろう。
孤独な少年時代を送ってきた島村さんは、とても満ち足りていました。
今日食べた、奥さんの野菜のキッシュの味は
一生忘れないだろうと島村さんは思いました。

これから嬉しい事があるたびに
島村さんちの食卓に
野菜のキッシュが
のぼることは間違いありません。


おしまい

                                05/03/2003
        
シュレ猫さんといつだったかお話したときに
エスカルゴねたで大いに盛り上がったことが
あったのです。それをベースに書いてみました。

シャンピニョン(仏)・・・もう知っている方も
多いと思います。英名マッシュルーム
本来の意味は、茸の総称だそうです。

野菜のキッシュは
上野万梨子さんの本から。

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